ASEANは「次の工場」から「次の市場」へ
ASEAN(東南アジア諸国連合)は現在11カ国。インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア、シンガポール、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ブルネイの10ヵ国に加え、東ティモールが2025年10月26日に正式加盟した。
人口は約6億9千万人(世界の人口の8.5%)、2024年のASEAN加盟国の名目GDPは、3兆9510億ドル(世界経済の3・6%)に達している。若年層が厚く、成長余地が大きい。ちなみにIMFは2027年にはASEANの名目GDPは日本を上回ると予測している。
ASEANは日本企業の海外事業において「主戦場」と呼ばれる地域だ。日本の対ASEAN直接投資残高(2024年末)は米国、EUに次ぐ第3位、海外現地法人(製造業)の売上高(2023年)では第2位、現地従業員数は世界最多。製造拠点としての魅力はもちろん、急拡大する中間層を背景に消費市場としての存在感も増している。
ASEANの変化
しかしコロナ禍以降、ASEANを取り巻く環境は大きく変化した。地政学、DX・GXなど新産業基盤の形成に向けた投資誘致競争、若い経営者・人材・消費者の価値観の変化……。日本企業が長く築いてきた関係性も、いま再考すべき局面にある。
こうした変化を最前線で見つめてきたのが、ジェトロ滋賀貿易情報センター所長・岩上勝一氏だ。シンガポールに2回、ラオスに1回駐在し、東南アジアを長く回ってきた実務家である。今回、岩上氏にASEANの現在地と、これから必要となる日本企業の戦略と滋賀県の可能性について話を聞いた。
インタビュー冒頭、岩上氏は彦根の印象を「お城を中心に長い歴史と文化があるから〝どっしり〟している」と表現した。週末は電車とレンタサイクルで県内を巡り、「車では通り過ぎてしまう場所に意外な発見がある」と語る。こうした姿勢はジェトロ入職以来、調査と情報提供の仕事を通じて現場観察で得られる情報と感覚が大事という岩上氏のスタイルなのだろう。
「主戦場」という成功体験が次の一手を鈍らせる
岩上氏がまず警鐘を鳴らすのは、日本側の「固定観念」だ。戦後の高度成長を知る世代ほど、東南アジアを「開発途上国」と捉え、日本が投資やODAで成長を引っ張ってきた「先輩」という感覚が強く、そのイメージが現在にも「何となく」継承されている。日本が東南アジアの成長を牽引してきたのは事実だが、しかし今、状況は大きく変わりつつある。中国の進出が強まり、欧米企業も投資を増やす一方、近年日本からの投資は勢いにかけている。にもかかわらず東南アジアのイメージがアップデートされず、固定化された状態が続けば「大きく市場を見誤り、ビジネスの機会を失う」と岩上氏は語る。
さらに、岩上氏は日本ASEAN友好協力50周年の経済共創ビジョンの策定(2023年)に関わった経験を踏まえ、「ASEANが大きく変わってきているのに、それが日本に十分伝わっていない。認識のギャップが広がることを危惧している」と強調した。
かつての日本と東南アジアの関係性を知らない都市部の若年層・中間層は、「日本企業で働き、いつかは日本製品を買いたい」との想いが強かった世代とは違い、韓国のK-POP、スマホ、化粧品などを楽しむ。日本車の牙城であるタイでは中国ブランドのEVが販売を伸ばしている。若い起業家も台頭しつつある。現地就職情報サイトを見ると、グローバルIT企業や地場大手企業が人気就職先の上位に名を連ねている。若者でも日本旅行も普通に行ける時代になり、「日本は特別な国」という感覚から日常化され、相対化される対象になったと考えられる。日本企業にとっては世代交代が進み、これから経済を支えていく若年層・中間層の価値観の変化を敏感に感じ取ることが求められるのではないか。
「国の平均値」ではなく「都市」と「所得層」で見る
ASEANを理解するうえで岩上氏が繰り返すキーワードが「多様性」だ。国の経済規模や人口を見ても国ごとの格差は明らかだ。人口一人あたりの名目GDPは、9万ドル超えのシンガポールと1100ドル強のミャンマーでは80倍以上の開きがある。市場開拓を考えるうえで、人口や人口一人あたりの名目GDPは重要な指標だ。しかし、いずれも国全体を俯瞰したデータにすぎず、富が集中する都市部では構想が異なる。一人あたりの名目GDPを都市別に見ると、クアラルンプールは北海道と同等、バンコクから南東約200キロにあるラヨーンは福岡より高い。ジャカルタは沖縄に近い水準だという。一方で都市の中にも壮絶な格差があり、「都市の中に富裕層・中間層がどれぐらいいるのか、ミクロで見る必要がある」と言い切る。つまり、進出先の選定も販売戦略も、「国」の視点に加えて「都市×所得層」も考慮する必要がある。
さらに、岩上氏はASEANを語るときほど「視点の偏り」に注意が要ると続ける。
「例えば『マレーシアの投資環境はどうですか』という問いには、データや情報量の違いで首都クアラルンプール目線になりがちだ。しかし、現地では地方の中堅都市が発達し、産業クラスターが形成されている。クアラルンプールは人件費の高さ、労働力や用地の不足が顕著だが、地方に目を向けるとシンガポールと共同で再開発が進むジョホールや、東マレーシアなど新たなビジネス機会が見えてくる」。固定観念で東南アジアを見ると、今の動きに追いつかない部分が出てくるのだ。
供給網再編で投資が流入人材獲得競争が始まった
米中の対立で、中国から東南アジアに輸出用生産拠点を移設・分散する動きが出てきた。外国投資の増加により「人の取り合い」が生じ、人件費が上昇している。
ここで日本企業が直面するのは、優秀な人材の確保と定着だ。岩上氏は「東南アジアを〝安い生産拠点〟というマインドが強いと、優秀な人材が採れない」と指摘する。ジェトロ調査(2025年)でも現地日系企業の34%が直近2年間で「人材採用が困難になった」と回答している(2023年の調査から倍増)。ベトナムでは2023年の11.2%から48.2%に急増した。
では、どう打つ手を考えるべきか。岩上氏は「企業のマインドセットが必要」と整理する。例えば、日本企業は日本人駐在員が現地事業を主導することが多く、経営の現地化が課題と指摘されて久しい。意思決定の迅速化、現地での競争力や情報収集力の強化が求められる中、現地法人への権限移譲、責任のあるポストへの現地人材の登用などは優秀な人材を定着させるモチベーションになろう。
また、人材定着に向けては、給与や福利厚生の改善のみならず、従業員に対するキャリア形成のための研修、キャリアパスの提示、人事評価制度の見直しなど価値観の変化への対応も求められている。
消費市場としてのASEAN「日本型」の強みが生きる
岩上氏は、消費市場としてのASEANについても注目している。経済発展による所得の増加により、インバウンドで日本を知った人が増え、日本の食・文化・ライフスタイルへの関心が高くなっている。「日本に行かないと買えない・体験できない」ものが訪日を契機に知られ、現地で需要が生まれているのだ。具体例として、タイには日本食レストランが4000店以上あり、バンコクに限らず地方都市にも広がっているという。
さらに、さまざまな社会課題が新たなビジネス機会を期待させる。タイでは高齢化が進みベトナムでもその兆しが見えはじめた。日本が高齢化・人口減少「先行国」として蓄積した介護・ヘルスケア・予防医療のノウハウが生きる。省力化・自動化の機器・システムの需要も高まるとみられる。
防災分野も同様で、気候変動に伴う自然災害の増加のなかで、日本の技術が活かされる分野だ。省エネなどの環境ニーズも高まっている。岩上氏は 「課題を解決してきた日本の経験や技術が、新たなビジネスチャンスになる」と予想する。
滋賀県の可能性勝負どころ
岩上氏は「滋賀県は『琵琶湖と共に培った技術と精神』を背景に、水・環境分野で活躍する企業も多いです。経済開発と都市化が進むほど、上下水インフラや産業排水処理の需要は一気に増加します。洪水・渇水など気候変動リスクも重なり、水の安定供給と水質管理の技術やノウハウは“競争力”になります」と話す。
処理装置を売るだけでなく、例えば陸上養殖など水処理技術を応用した新ビジネスを提案できるかが勝負だ。「滋賀には製造業の蓄積がある。技術でソリューション提案できる企業は強い」と岩上氏は見立てる。
ジェトロ滋賀は彦根商工会議所の建物の1階にある。ASEANのみならず世界とのビジネスチャンスは平等に開かれている。だからこそ、最初の一歩はジェトロのドアを開けることから始めたい。