近代化遺産って何?

「近代」とは、歴史の時代区分のひとつで、一般的には幕末(明治維新)から太平洋戦争の終結までの時期をいう。「近代化遺産」とは、その時代に日本の近代化を支えた歴史的建造物や遺跡、銅像、石碑、文書などを指し、政治・経済・社会・教育・思想・文化・宗教といった多岐にわたる領域で推し進められた近代化の姿を、今日に伝えている貴重な遺産である。それらは単に古さや希少性によって価値があるのではなく、地域の発展に果たしてきた役割や、それに関わった人々の努力の記憶を今に伝えている。したがって、地域が未来へ向けて歩むための「シード(種)」ともなり得る、無形の価値に満ちた資産である。
彦根の近代化遺産は、彦根地方気象台をはじめ、滋賀大学講堂(旧彦根高等商業学校講堂)、スミス記念堂、金亀会館(藩校弘道館講堂)など城下町に数多く存在する。また、井伊直弼公が著した『茶湯一会集』も近代化遺産のひとつとして捉えることもできる。

彦根の近代化遺産を巡る人気ツアー

コロナ禍以前から、彦根の城下町に点在する近代化遺産(建物)を散策する人気ツアーがある。「まいまい京都」が企画する「モダン建築のまち、彦根へ!」(年2回催行)だ。近江鉄道「ひこね芹川駅」に集合し、逓信舎(旧川原町郵便局舎)やスミス記念堂など城下町に遺された近代建築を散策する。毎回定員20名をこえ、現在も続いている。案内人の二村盛寧(ふたむらもりやす) さんに、人気の理由を尋ねてみた。

逓信舎(花しょうぶ通り)で解説する二村盛寧さん。京都産業大学日本文化研究所上席特別客員研究員。2019年12月まで合同会社京都感動案内社、副代表として各講座を企画、実施。現在、フリーランスとして活動を継続している。

京都も近代建築の宝庫で、京都府庁旧本館(重文)、日本銀行京都支店(重文)、京都国立博物館(重文)、旧村井家別邸長楽館(重文)をはじめ、数多くの西洋建築が現在し、その佇まいを遺しています。彦根の近代建築は京都のそれとは異なり、城下町の暮らしにとけ込み、散策に適した距離に点在していて、建物内部も見学できるというのが魅力です。

近代建築をどのように見ればいいのかわからないけれど、興味があるという人はたくさんおられます。建物には、それぞれ独自の歴史や歩みがあり、歴史的背景を聞き、知識を蓄えながら自分の見方ができるようになれば素敵ですよね。私はそういうお手伝いをしています。

近代化遺産は、個々の遺産単体ではその魅力は伝わりにくい。彦根藩の歴史を軸に、人材や技術の交流を関連づけながら何故、当該遺産が存在するかのストーリーが魅力なのである。
私たちがみんな知っているだろうと思い込んでいることが、市外の人には知られていないのが実情だ。

徳川譜代筆頭の彦根藩が戊辰戦争で官軍として戦っていたということも、知らない人が多いですよね。また、足軽組屋敷も面白いです。幕末期には戸数およそ700。しかもそれぞれ塀に囲まれ、木戸門と庭があり、小さいけれど武家屋敷の体裁を整えた建物で、彦根藩の足軽たちは代々暮らしていたわけです。建物だけでなく、そういうところも興味深いですね。このような足軽屋敷が遺っているのは、日本で彦根だけだと思います。

 

近代化遺産の魅力

では何故、どのようなところに人は建築に魅力を感じるのか……。

1. 内部に入ることができる芸術

建築は、絵画や彫刻のような視覚芸術とは異なり、「内部に入ることができる芸術」である。足を踏み入れた瞬間に感じるスケール、光と影、音の反響、素材の触感などは現地でなければ体験することができない。

2. 時代の証人

明治・大正・昭和の建物は、それぞれの時代の思想、美意識、社会制度を体現している「時代の証人」である。歴史の肌触りが閉じ込められている。

3. 機能と美の融合

建築は、人が使うために建てられたもので、構造の合理性が美しさにつながり、さまざまな制約の中で生まれる工夫、職人の技術が集積され、見る者の好奇心を刺激する。

4. 地域性・文化性

建築は土地に根ざす文化や風土とも深く結びついている。その土地(地域)を知るための最初の一頁である。
世界文化遺産登録にも同じことがいえるが、建築は保存されることにより、現代と未来に向けて「読み直される」存在でもある。近代化遺産は今日の我々に地域の歴史、社会の変遷、建築文化の多様性と価値について、「まちの記憶」を紡ぎ直し、新たな気づきを促してくれる。求めれば、地域の未来を再構築するための手がかりを得ることができるかもしれない。

近代化遺産マップ(彦根近代化遺産ご案内)NPO法人スミス会議制作(非売品)お問い合わせ TEL.0749-24-8781

彦根城と城下町を繋ぐ近代化遺産

NPO法人スミス会議は、設立当初から彦根の近代化遺産に着目し、その価値の可視化と継承を試みてきた。滋賀大学経済学部講堂、旧彦根高等商業学校外国人宿舎、彦根地方気象台、波止一文字をはじめとする35の近代化遺産を独自にプロットしたマップは、単なる案内図ではない。そこには彦根の近代が積み重ねてきた「もうひとつの歴史地図」が広がっている。
彦根城の世界遺産登録が現実味を帯びつつある。世界の注目が彦根に集まれば、人の流れは確実に「世界遺産」という磁場に引き寄せられるだろう。だが、その時問われるのは、「世界遺産に訪れた人をどう城下町に誘い、滞在時間を延ばすか」という戦略である。
彦根城は近世の遺産である。しかし彦根という町は、江戸だけではなく、明治、大正、昭和というレイヤーが重なり現在に至っている。
観光とは、単に「見ること」ではない。「その土地の物語に触れ、自分の時間をそこに重ねること」でもある。彦根城だけを見て立ち去るのではなく、城が築かれた町の重層的な歴史を体感してもらうことが、滞在時間の延長と一泊二日観光の実現につながるのではないだろうか。
また、地方都市は人口減少という共通の困難を抱え、都市間競争の時代に突入している。生き残る鍵は、「他にはない固有の価値」を明確に打ち出せるかどうかにかかっている。彦根の価値は「江戸の城と城下町」だけではない。近代化の過程で積み上げてきた教育、交通、産業、文化の重層的レイヤーが、この町の独自性を際立たせる。これは、観光資源であると同時に、地域に暮らす人々の誇りとアイデンティティの源泉でもある。
しかし、近代化遺産は、活用しなければ失われるリスクを抱えている。単なる保存ではなく、使いながら守る。それはカフェ、ギャラリー、ワーケーション拠点、シェアオフィス、学びの拠点、そしてユニークベニューも視野に入れることができるのではないだろうか。
世界遺産登録がゴールではない。観光庁が推進するDMO(観光地域づくり法人)政策においても、地域資源の多様な活用と、持続可能な観光の形成が求められている。近代化遺産の活用は彦根の未来を開くための鍵であり、「地域の物語」を次代に繋ぐメディアなのだ。
近世の遺産と近代の遺産、この「二つの時間」をどのように接続し、どう活かすか。それこそが、彦根が未来に生き残るための戦略の核心なのではないだろうか。