9月3日、国の文化審議会が彦根城を世界遺産の国内推薦候補として選定した報を受け、田島一成彦根市長は市役所で支援者らとともに喜びを分かち合った。1992年に世界遺産暫定一覧表に記載されて以来、実に34年。彦根城の世界遺産登録は長年にわたる市民共通の悲願であり、今回の選定は、令和10年(2028)の登録実現に向けた大きな一歩となった。
会議所がこの取り組みに力を注ぐのは、彦根城が世界に認められること自体が目的ではない。世界遺産登録を契機に、より良い経済循環を生み出し、人口減少下における都市間競争を彦根がしなやかに生き抜いていくための手段だからである。

今回、彦根市文化財課彦根城世界遺産登録推進室の小林室長に登録までのスケジュールについて話を聞いた。原稿執筆時点(9月)では、国内推薦候補選定を受けた閣議決定はまだ行われていないが、今後は次のようなスケジュールで手続きが進む。

  • 令和8年(2026)9月30日まで
    国からユネスコへ推薦書(暫定版・英訳版)を提出
  • 令和9年(2027)2月1日まで
    国から推薦書(正式版)をユネスコへ提出
  • 令和9年度(2027年度)
    イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡会議、ユネスコの諮問機関)による現地調査
  • 令和10年度(2028年度)
    世界遺産委員会における登録審議

イコモスによる世界遺産の現地調査は、推薦書に記載された内容が事実と合致しているか、遺産の「顕著な普遍的価値」を守る保存管理の体制が十分なのかを実地で確認するプロセスだ。 調査は原則非公開で、調査員は推薦された構成資産を訪問し、範囲設定・法的保護・保全状況・緩衝地帯(バッファーゾーン)の整備・来訪者への情報提供・地域住民との関わりなどを点検する。地元住民が彦根城とどのように関わり、大切にしているかを問われることになる。
いずれにせよ、世界遺産登録という目標に対して、これからの約2年間が正念場となる。

なぜ彦根商工会議所は世界遺産登録に取り組むのか

世界遺産登録は、観光客の増加という分かりやすい効果をもたらす。しかし会議所が本当に見据えているのは、その先にある「経済循環の質」である。この視点を考える上で参考になるのが、国連世界観光機関(UNWTO、現 UN Tourism)が示す【観光の経済的、社会的現象】という捉え方だ。

UN Tourism

観光の振興と持続可能な発展を担う国連の専門機関で、スペイン・マドリードに本部を置き、日本を含む160以上の国と地域が加盟している。観光政策の国際的な指針づくりや統計整備、世界遺産と観光の関係整理などを担う、いわば観光分野における世界標準を定める機関である。

この考え方は、2022年7月3日に東京で開かれた彦根城世界遺産登録推進シンポジウム「世界史における近世城郭の意義」でも紹介された。そのUN Tourismによれば、観光は数十年にわたり成長と多様化を続け、世界でも有数の速さで拡大する経済部門となり、社会的発展そのものを牽引する力へと変わってきた。そのうえで同機関は、世界遺産を「保護・保存・持続可能性に重点が置かれた、ユニークな観光名所」と位置づけている。
さらに2019年、UNWTOとユネスコが京都で共同開催した国際会議では、「観光・文化京都宣言―将来世代への投資―」が採択されている。そこには、文化が観光地にもたらす付加価値や、社会経済的発展・持続可能な成長を強化するうえでの歴史的文化遺産と創造性の役割について、ステークホルダーの意識を高めるという一文がある。
つまり、「文化=観光地の競争力・魅力の源泉であり、かつSDGsに沿った持続可能な成長のエンジンである」という認識を、行政・事業者・地域コミュニティ・訪問者など関係者に浸透させることを求めている。
経済のための文化ではなく、文化のための経済——彦根が掲げようとしている発想は、すでに国際的な合意文書の中に位置づけられている。皮肉なことに、その宣言が採択されたのは京都だった。理念を最初に掲げたのが京都なら、それを地方都市の現場で実践して見せるのが彦根の役割であっていい。
観光産業の強みは、単体の業種にとどまらない点にある。宿泊、飲食、小売、交通、農産品、伝統工芸——観光客の一円は、地域内のあらゆる産業を横断しながら循環し、街全体の所得を底上げしていく。一時的な観光ブームで終わらせず、訪れた人が地域の商店で買い物をし、宿に泊まり、地元の産品を持ち帰り、また訪れたいと思う。その循環が、彦根に暮らし働く人々の所得となり、雇用となり、次の世代への投資となる。人口減少が避けられない時代において、都市が生き残る道は、人口の量を競うことではなく、一人ひとりの経済活動の質と広がりを高めることにある。彦根城の世界遺産登録は都市間競争を生き抜くための大きなアドバンテージなのだ。
「かつての近江は群雄が割拠した政治経済の中心地であった。まず最初の3年で湖東湖北で観光経済文化圏をつくる。そして湖東湖北に大阪京都にならび称せられるような拠点をつくる。そのポテンシャルがここにはある」こう語ったのは、溝畑宏氏(元観光庁長官、当時・京都大学経営管理大学院特命教授)である。発言から10年余りを経た現在も、その指摘は色褪せていない。むしろ人口減少や地域間競争が進む今、その意味は一層大きくなっている。
彦根商工会議所が事務局を担う「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」では、彦根城の世界遺産登録実現を目指すだけでなく、彦根城という一つの資産を核として、滋賀県全体を経済・文化のつながりによって結び、地域全体の価値を高めていく取り組みが、すでに具体的な事業として動き始めている。
彦根商工会議所がすべてを単独で抱え込むのではなく、行政、企業、地域団体などとの連携を広域に広げ、いかに人と資源を結び、束ねていくか。その役割を担えるかどうかが、これからの彦根の未来を左右する。そういう意味ではDMO(一社)近江ツーリズムボードの果たす役割も今後重要になってくる。

シビックプライドを定義する「ふるさと愛」との違い

小林室長は「シビックプライドは、しばしば「ふるさと愛」「郷土愛」と同じものとして語られる。しかし、両者は似て非なるものだ。ふるさと愛が、生まれ育った土地への懐かしさに根ざした過去に向かう感情であるのに対し、シビックプライドは「この街を自分がより良くしていく」という、未来に向かう当事者意識である。生まれ育った者にしか宿らない感情ではなく、この街を終の棲家に選んだ人にも等しく開かれている点が、決定的な違いだ」と話す。
単に彦根城を誇りに思う、というだけでもない。世界遺産登録という機会を、住民一人ひとりが自らの仕事や暮らしの中でどう活かすかを考える——そうした態度の総体こそが、シビックプライドである。

会議所内でも取り組みが始まっているのが、「一期一会」の精神を軸にした第三の開国である。この言葉は、茶人・千利休の茶道の心得に由来するとされているが、利休自身がこの四字熟語をそのまま使ったわけではなく、その経緯は少し複雑だ。
利休の弟子である山上宗二が、『山上宗二記』の中で利休の教えとして「一期に一度の会」という言葉を書き残した。その後、茶の道を究めるなかで井伊直弼公が、自著『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』の冒頭で「一期一会」という四字の形にまとめ、広く定着させたのである。思想の源流は利休にあるが、「一期一会」という言葉そのものを生み出し世に広めたのは直弼公なのだ。
2026年9月26日開催の『続・グレート直弼 OPEN SESAME 一期一会を世界に!』に登壇された井伊裕子さんはトークセッションのなかで「一期一会を世界平和のメッセージにしよう」と発言された。
世界は今、多様性を謳いながら分断を深め、持続可能を目指しながら環境を破壊し、平和を語りながら戦争を続けるという矛盾の中にある。SDGs目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」の精神の核心にあるのは、互いの違いを認め、目の前の相手を尊重し、共に歩むという姿勢にほかならない。
彦根城は「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」の象徴として築かれ、250年間その平和を体現してきた。平和の城に、平和の哲学が宿っている。場所と思想がこれほど一致する都市は、世界を探してもほかにない。
直弼公が、命がけの時代に磨き上げたこの言葉を、彦根から、世界へ!!
一期一会は単なる茶道の作法ではなく、人と人との出会いを大切にする生き方の哲学であり、彦根という土地には、それを胸を張って掲げるだけの歴史的な裏付けがある。派手な世界遺産アピールよりも、まちが清潔に保たれ、さりげない挨拶や一期一会の心が息づいていることこそが、シビックプライドへの入り口ではないだろうか。

持続可能な観光、この2年の決意

「持続可能な観光」とは、訪れる人、迎える地域、観光に携わる事業者、そして観光とは直接関わらない市民。そのすべてが、それぞれの立場で無理なく未来を共有できる仕組みをつくることだ。
そう考えると、彦根城の世界遺産登録は、登録されるかどうかだけの問題ではない。むしろ、そこに至るまでの約2年間こそが、彦根にとって重要な時間になる。
世界遺産にふさわしいまちとは、観光客が増えたまちではない。文化財が適切に守られ、地域の暮らしが尊重され、観光によって生まれた経済が地域に循環し、訪れた人にも「また来たい」と思ってもらえるまちである。そして何より、そこに暮らす人自身が「このまちをより良くしていきたい」と思えるまちである。
その意味で、文化を守りながら経済を循環させ、訪れる人と暮らす人がともに豊かになれるまちをつくること。そのための約2年間が、いよいよはじまる。