鈴木大祐さんは昭和61年(1986)に愛荘町愛知川の木澤工務店に入門。翌年には技能五輪の滋賀県大会で1位を取った。その後、京都の北村誠工務店、相模原の鈴勇社寺建築、米原の庄司社寺建築と、各地の現場で腕を磨いた。平成14年(2002)に独立して鈴木古建築を興し、平成29年(2017)に株式会社とした。
数百年の歴史を刻む木造の社寺には、残り続けてきた理由がある。地震や台風が多く、四季の寒暖も湿気も大きく変わるこの国で、先人たちは風土に合わせて工夫を重ねてきた。木という素材も、数十年ごとに手を入れれば甦り、そのたびに味わいを深めていく。「古い建物に触れると、私たち自身が学ばせてもらうんです」と鈴木大祐さんは話す。一流の宮大工が手がけた建物には、その土地の風土を活かす知恵が詰まっていて、それを読み解くことが次の仕事の糧になるのだという。
棟梁を名乗る男
棟(むね)と梁(はり)は、木造の建物を支える要の部材だ。そこから転じて、棟梁(とうりょう)は大工の長を指すようになった。建物をつくる職人が大工であり、なかでも神社や寺院を専門とするのが宮大工。そして棟梁は、一つの現場を預かる者である。木を選び、図面を引き、職人を束ね、仕事の始まりから終わりまでを差配する。腕が立つだけでは務まらない。建物と人の両方に責任を負う立場である。
鈴木大祐さんは平成25年(2013)、日本伝統建築技術保存会から棟梁の認定を受けた。会社の挨拶文にも「棟梁 鈴木大祐」と署名する。肩書きを選ぶことは、自分が何者であるかを名乗ることでもある。経営者である前に、現場に立つ大工の長でありたい。その名には、祖父から受け継いだ職人の矜持がこもっているように思える。
「古い伝統を身につけることこそが、新しいものへの出発になる」。それが祖父健次の信念だった。大祐さんの座右の銘は「温故知新」。祖父の思いと、つながっている。木と記憶に命を吹き込むとは……「何年か何十年、何百年かそれはわからないけれど、次の工事のことを考えて仕事をする」という。
木であれば、なんでも
文化財や社寺の改修工事。写真や資料から図面を起こし、かつての姿をできるだけ忠実に甦らせる。建物の移築や橋の架け替えの実績も多い。「素材が木であれば、なんでもやらせてもらいます」と鈴木さん。
いまの現場では電動工具も使う。けれども機械の鉋(かんな)は一定の方向にしか削れず、細かなところは今も手で仕上げるしかない。不思議なことに、同じ図面から同じものを造っても、担当した大工によってどこか雰囲気が違ってくるという。仕上がりが人の手に委ねられている。そこが宮大工の難しさであり、一番の面白さでもある。
古いというだけで建物が壊されていくのを見ると、鈴木さんは悲しくなるという。施主のために心を尽くした大工たちの思い、住み継いできた家族の記憶まで、一緒に壊してしまう気がするからだ。宮大工の技術とは、古い建物に何度でも命を吹き込み、そこに宿る記憶を後の世に手渡すためのものなのである。
次の世代へ
いま鈴木さんが力を入れているのが、職人を育てることだ。手仕事の技術が細り、担い手が減っていくことは、祖父の健次も憂えていた。同社では未経験者を歓迎し、女性の志願者も迎え入れ、資格取得や勉強会への参加を支え、道具の購入費も補助している。
社寺の建物は、人ひとりの一生よりはるかに長く生きる。「一代の大工がどれほど力を尽くしても、数百年にわたって積み重ねられた知恵にはかなわない。それでも、一人ひとりが腕を磨くことは無力ではないと信じたい」と鈴木さんは言う。過去と未来のあいだに橋を架け、受け継いだものを次へ手渡すことも、棟梁の仕事なのである。