明治20年(1887)、門野留吉が蒸気用カランを手がけ、彦根バルブ製造の歴史が始まる。彦根市を中心に、わが国屈指のバルブ産地を形成し、県内最大規模の地場産業である。業界団体としての滋賀バルブ協同組合は昭和62年(1987)に設立。令和8年(2026)日の本辨工業株式会社の岡一嘉社長が理事長に就任。来年、40周年を迎える。(写真右、三代目岡一嘉さん・左、四代目岡和磨さん)
岡鋳造所から日の本辨工業株式会社へ
彦根の金属加工は、近代になって突然生まれた産業ではない。城下町の鍛冶や武具製作、錺金具などに培われた金工の技術が、鋳造や機械加工へと姿を変えながら受け継がれてきた。この土壌から彦根のバルブ産業は生まれ、大きく二つの系譜がある。
ひとつは、京都で錺金師の修業を積んだ門野留吉を祖に、蒸気カランからバルブ・コック製造へと転じた「門野系」。もうひとつが、釣鐘や仏具、鍋、車軸などを手がけてきた鋳物師がバルブ製造に転じた「鋳物師系」である。日の本辨工業は、この鋳物師の系譜に連なる。
日の本辨工業の歴史は、明治17年(1884)林新太郎が鋳物製造開始したことに始まる。新太郎は後に岡姓に改姓し、大正8年(1919)バルブ製造へと進出した。大正12年(1923)の関東大震災で東京のバルブ工場が被害を受けると、注文は関西へと流れ込み、岡鋳造所も、この波に乗って事業を拡大していった。
「日の本辨工業株式会社」の誕生は、昭和18年(1943)9月1日。戦時下の企業整備令により、彦根周辺の複数のバルブ業者が統合を余儀なくされた結果であった。
見えないところに宿る精度
日の本辨工業は船舶用バルブの専門メーカーである。厳しい海洋環境に耐えうる鋳鉄、ダクタイル鋳鉄など多彩な材質のバルブを手がけ、国内外の造船所や海運会社から、高い信頼を得ている。バルブは船の重要な機関部や配管系統の奥深くに組み込まれ、普段は人の目に触れることはない。
80余年の実績と信用、各国の船級協会の厳格な検定規格に適合させる技術力が、船の安全な航海を支え続けている。
「小さいことを誠実に」は、岡一嘉社長が大切にしている仕事への姿勢を端的に表した言葉である。その姿勢こそが、製品の品質に対する絶対的な自信と信頼を生み、未来を見据える企業としての矜持にもつながっている。
道具を使うのは人である
岡社長はパソコン好きが高じた「オタク」を自認する人物である。大学卒業後、研究職として大手金属メーカーに勤務した後、平成4年(1992)に入社。紙と職人の記憶に頼るアナログな業務環境に危機感を抱き、FileMakerを用いた受注管理・在庫管理等のデータベースアプリを自ら開発・運用開始した。製造出荷履歴のデータ化や一元管理を進め、業務の内製化とデジタル化に取り組んできた。以来30年以上、システムの骨格は維持しながら、若い社員が主体となってデジタル化と業務の効率化を進め、時代に合わせてアップデートと更新を重ねている。
「結果として、楽しく働いてもらえる環境を整え、一人ひとりの成長を促せたことが何よりも大きかった。最も大切なのは“人”である」と岡社長は話す。デジタル化もあくまで道具であり、使う側が資質を高めてこそ、探求心も努力する力も湧いてくるという。大きなニーズばかりではなく、小さなニーズを見つけ出し、お客様のお役に立ちたい——その才覚は、「何でもやってみなさい」と社員の挑戦を後押しする社風ともつながっている。
社員と同じフロアで働く社長と、若手社員たちとの距離の近さは、取材のなかでも印象的だった。見えないところで働き続けるバルブづくりの流儀と、その姿勢はどこか似ている。