世界遺産の資産範囲になっている中堀より内側の空撮(彦根市提供)

彦根城の世界遺産登録を目指している滋賀県と彦根市は推薦書の原案を作成し、3月末に文化庁へ提出した。令和6年度の登録に向けて、本格的に動き出した形だ。

中堀より内側と埋木舎が範囲

彦根城が世界遺産に登録されるための最も高いハードルは、すでに登録されている姫路城との差別化を図ることだ。そのためには、文化や習慣が異なる外国人らにも理解できるような「顕著な普遍的価値」を証明する必要がある。
登録を目指す彦根城の資産物件および範囲は、天守、太鼓門櫓、天秤櫓、西の丸三重櫓、表御殿跡、馬屋、佐和口多門櫓、玄宮園、槻御殿、藩校弘道館跡、木俣屋敷・脇屋敷長屋・庵原屋敷長屋門など重臣屋敷跡の堀や石垣を含めた中堀より内側の特別史跡内と埋木舎。一方で、資産範囲外の参考物件としての緩衝地帯(バッファーゾーン)は芹川、JR、矢倉川、琵琶湖の一部を囲む形のエリアで、旧外堀土塁の一部や旧松原内湖、足軽組屋敷などが入る。ただし、井伊家ゆかりの清凉寺や龍潭寺、井伊神社、大洞弁財天長寿院は緩衝地帯に入っていない。

「資産範囲」と「緩衝地帯」を示した地図(彦根市提供)

「他国にない国家統合の形」

文化庁へ提出した推薦書原案では「顕著な普遍的価値」を中心に説明している。
そのうち城については「天守を中心に大名(井伊家)が住む御殿が構えられ、周囲を重臣の屋敷が囲むという求心的、階層的な構造だ」とし、城内には統治者(藩主)が理想とする世界を表した庭園や、藩士が学問や武芸を学ぶ藩校が石垣・堀で囲まれた空間の中に集約的に設置され「全体が求心的な構造になっていた」と解説している。
また、江戸時代の17世紀から19世紀半ばにおける政治体制については「中央政権による全国的な統一を前提としながら、地方政権がそれぞれの領域を自律的に統合する分権的な体制だった」とし「これは他国にない独特の国家統合の形だった」と展開。そして、当時あった約200の城でも彦根城が「全国的に標準化された構造を最も忠実に示し、全体構造と必要な構成要素が一体となって最もよく保存されている」「地方政権の拠点の一つであり、その価値を最もよく伝える代表的な物証だ」と紹介している。
滋賀県と彦根市は今後、遺跡保存に関わる世界的な組織「イコモス」の会員らによる委員会や文化庁の助言を受けながら、資産範囲と周辺環境の管理を進めていく。そして令和4年度中に国がユネスコに推薦書を提出し、イコモスの審査と世界遺産委員会での審議を経て、令和6年度中の世界遺産登録を目指していく運びとなる。

県知事部局に彦根城世界遺産登録推進室

滋賀県は令和2年度から、県教育委員会の文化財保護課を知事部局の文化スポーツ部内に移行。文化財保護課内に彦根城世界遺産登録推進室を新設している。
滋賀県文化スポーツ部内の彦根城世界遺産登録推進室では、世界遺産登録に向けた専門家らによる学術会議や、学術会議委員・外国人研究者らによる国際会議の開催、彦根市と近く設置する協議会で機運醸成のための啓発活動などを行っていく。彦根市歴史まちづくり部内の彦根城世界遺産登録推進室からも職員が県へ派遣されている。