はじめに

前回に引き続き、明智光秀の領国経営に関するSDGs分析の2回目です。先のSDGs分析でお話したのは、光秀は苦心惨憺の末に丹波を平定しました。ただ、その代償は大きく、折角手に入れた領地ですが、激しい戦乱によってすっかり荒廃していました。光秀は生活に困窮していた領民に対して地子銭(宅地税)を免除し、年貢米未進を破棄する徳政令を出して貧困をなくし、住みつづけられるまちづくりを実践しました。今回は、光秀の丹波領国経営に関するSDGs分析の続きと組織としての明智軍団に関するSDGs分析についてお話します。

SDGsとは?

SDGs(Sustainable Development Goals)とは「持続可能な開発目標」と訳されているもので、第70回国連総会(2015年9月25日に開催)で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ(戦略や行動計画という意味)」という文書の中で登場します。具体的には、以下の17の目標があります。

明智光秀のSDGs分析 その2

功績2 治水事業による強靭なまちづくり

明智光秀の丹波における善政のもう1つの大きな成果が、「蛇ヶ端御藪」、現在では「明智藪」と呼ばれる堤防を築いたことです。丹波平定後に光秀は、福知山城を築城して本格的なまちづくりを行いました。ただ、福知山城は、由良川と土師川が合流する段丘上に築かれ、その北側に城下町がつくられていたので、合流地点で水害にみまわれやすい土地でした 。そこで光秀は水害からまちを護るために、堤防を築く治水事業を実施しました。その結果として、福知山は城下町として発展していきました。

功績3 「家中軍法」の制定による盤石な組織づくり

明智光秀の組織運営をSDGsの観点から見ていくと、光秀は、「家中軍法」を制定したことです。福島克彦 著『明智光秀と近江・丹波-分国支配から「本能寺の変」へ』によると、光秀の「家中軍法」は軍の規律のみを謳っているのではなくて、服務規律と軍役基準で構成されている当時としては稀有なものでした。このような軍法を制定するには、指出検知による知行高の把握とそれに基づく軍役賦課基準が確立されていないとできません。つまり、光秀は「家中軍法」によって、自ら率いる軍団が持続的に発展できるための組織づくりを行っていたのです。

功績4 人を気遣うリーダーシップを発揮して一体感をつくりだす

明智光秀が出した私文書にあたる書状は、彼の人柄がよく表れている内容となっています。金子 拓 著『信長家臣 明智光秀』によると、光秀の書状の特徴は、戦で傷ついた家臣や病気の家臣を見舞うもの、あるいは、戦死者の慰霊に関するものがあり、家臣を思いやるものが多いということです。家臣をいたわる内容の書状は、他の織田家の武将にはあまり見られないとのことです。ここから言えることは、光秀は家臣に対して細やかな配慮を示して組織の一体感を保つ人を気遣うリーダーシップを実践していたと言えるでしょう。

ちなみに、リーダーシップとは「目的の実現、目標の達成のために組織(集団・チーム・グループなどを含む)のリーダーが、メンバーに積極的な意識や行動の変化を促すこと」です。リーダーシップのスタイルについては、課題の達成に向けたリーダーシップ行動(たとえば、方向を示す、指示や助言をしたりする)と良好な人間関係を維持するリーダーシップ行動(たとえば、労いの言葉をかける、悩みを聴く)による行動軸と組織や職場、チームのこれまでのあり方を抜本的に見直す変革時と日常の業務や活動のレベルで見直す日常時による状況軸からなる以下のような4つのリーダーシップ・スタイルが導き出すことができます。

リーダーは、この4つのリーダーシップのスタイルを状況に応じて使い分けることが求められます。光秀は、今で言うならば途中入社組なので自らが率いる軍団を1から、なおかつ、迅速に組織化しなければなりませんでした。そのためには、家臣との信頼関係を構築し、組織の一体感を高めることが急務でした。それゆえに、光秀は人を気遣うリーダーシップを重視したものを考えられます。