「ういろう(ういろ)」は室町時代に中国(元)から渡来した「外郎(ういろう)家」という一族が作った薬や、彼らが客をもてなすために作ったお菓子が始まりとされている。菓子の名前が家名(職名)に由来している、非常にユニークな伝来の歴史を持っている。
創業のものがたり
彦根市役所の真ん前、小林製菓舗の店舗前には紫色の白抜きで染め抜いた「彦根銘菓 ういろ」の真新しい陣旗が立っている。少し前までは「彦根ういろ ふるさとの味」だった。
初代は小林貞一さん。日本が戦時体制へと大きく舵を切る激動の時代、中国の戦地で負傷し帰郷。京町の製パン店「小川堂」で再び修業していたが一念発起、大津の和菓子屋に修業の場を移した。
昭和16年、物資不足へ向かうなか独立。昭和20年、現在地に店を構えたのが小林製菓舗の始まりである。貞一さん27歳、妻の千里さん20歳のときである。
二代目の武さん85歳は、初代の味を守ることを第一義とし、日々の製造に精を出した。市の催事場で彦根みやげ品研究会(事務局彦根商工会議所)を通じ、ういろを届け続けたのも懐かしい思い出だという。
現在、京都の和菓子店で修業した三代目の貞弘さん56歳が、菓子づくりを担っている。ふるさとの味は、静かに三代にわたって受け継がれてきた。
12種の「彦根ういろ」
取材に訪れた日、観光客や常連のお客が和菓子を買っていた。守山から来たという女性は「いが餅が美味しいのよ」と言う。こし餡をだんごの生地で包み、餅米を載せて蒸し上げたもので、モチモチの食感と餅米のつぶつぶの食感が楽しめるのだという。彦根ういろは主力商品だが、オーソドックスな和菓子にもファンがついている。
さて、ショーケース最上段には、水無月2種と9種の彦根ういろが並んでいる。白砂糖水無月、抹茶水無月、白砂糖、黒砂糖、抹茶、マロン、蜜柑、珈琲、ニッキ、そして夏は桃。マンゴーも加わる(夏場はゴマういろは休止)。過去には、紫蘇、よもぎなどのういろもあった。「水無月」は主に6月30日の「夏越の祓(なごしのはらえ)」の頃に店頭を飾る伝統的な和菓子だが、小林製菓舗では「彦根ういろ」の一つとして捉えているのだろう、年中ラインナップしている。初代は定番の白砂糖、黒砂糖、抹茶の3色ういろを、二代目のとき水無月とマロンういろが加わり、三代目から12種のういろがショーケースに並ぶようになった。
店の接客は武さんの奥様の萬里子さん85歳が担う。彦根城へ続く駅前通りの変遷をその目でずっと見てきた人である。
「小麦粉を練って粘りを出して、コチッとするのではなくフルフルとした食感と感触が特徴です。練り加減、湯加減、蒸し加減が大事ですね。暑い時期には蜜柑がおすすめです」と話す。小麦粉と砂糖と水、一切余計なものを使わず、賞味期限はわずか1日。超デリケートな銘菓彦根ういろなのである。
もうひとつの物語
彦根城の世界遺産登録が現実味を帯びるなか、まちが語る物語は城だけではない。市役所前で三代続く菓子舗の歴史や萬里子さんが見てきた駅前通りの変遷も、訪れる人の記憶に残る「小さな物語」だ。世界遺産登録が叶った後、こうした店の存在が、彦根に温かみと奥行きを与えるのではないだろうか。そういう営みこそ、まちが紡ぐエンターテインメントなのだ。