「建造物」ではなく「遺跡」推薦書(案)再提出

令和8年(2026)5月25日、彦根城世界遺産登録推進協議会は、世界遺産登録に向けた推薦書(案)を文化庁に提出した。三日月大造滋賀県知事と田島一成彦根市長が同日コメントを発表。「令和10年の登録実現」を改めて目標として掲げた。
前回の世界遺産レポート4(2025年10月号)では、昨年8月に国内推薦が見送られた経緯と、その後の動きを報じた。今号では、その後何が変わったのかを、市の小林隆世界遺産登録推進室長に伺った話をもとに整理する。読んでいただければ、「彦根城の世界遺産登録」への見方が、きっと変わるはずだ。
まず、大前提の話をしよう。
彦根城の世界遺産登録というと「建造物として」と多くの方がそう思っている。しかし実は、ユネスコの世界文化遺産には大きく三つの種別がある。「建造物」・「遺跡」・「文化的景観」だ。姫路城は「建造物」として登録されている。天守をはじめとする木造城郭建築の傑作として、建物そのものに価値があると認められた。
では彦根城は?
小林室長は「彦根城は『遺跡』として登録を目指しています」と、きっぱりと言う。「建物が世界文化遺産になるんだ」という思い込みがある以上、これは多くの方にとって驚きだろう。しかし実は、これは最近決まった話ではない。
「山根裕子前推進室長の時代から、我々は気づいたんです。姫路城との違いを出さなければ、彦根城は世界遺産にはなれません。姫路城が建造物で世界遺産に登録されている限り、彦根城を建造物で登録を狙うのは厳しい。だから彦根城は『遺跡』として登録を目指しています」。

「遺跡」だからこそ彦根城が輝く

遺跡での登録とはどういうことなのか。
彦根城の中堀より内側のエリアは、国の「特別史跡」に指定されている。特別史跡とは史跡の中でも最高位のランクだ。そのエリア全体、地下に眠る遺構も、地上に残る建造物も含めた「場所」全体が、評価の対象となる。そして、比較の項目は、大名統治システムを成り立たせる四つの要素に絞られた。

  1. 大名の御殿(跡)
  2. 重臣屋敷(跡)
  3. 政治拠点を囲む堀・石垣・土塁
  4. 政治拠点を示す天守・櫓・門

この四つを軸に、江戸時代の城郭約160城と比較したとき、彦根城のエリア内における残存状況が全国で群を抜いていることを明らかにする。
「姫路城は天守・櫓・門は素晴らしい。だけど堀は一部国道で埋め立てられていますし、御殿跡・重臣屋敷跡も、明治以降に陸軍の駐屯地になったり、動物園があったりして、しっかりと保存されていない。だから建造物では彦根城は姫路城に劣るけれど、遺跡として比べると彦根城の方が遥かに良く残っている」。
さらに決定的な点がある。彦根城博物館の建つ「表御殿跡」は、日本で唯一、全面発掘調査が行われた御殿跡なのだ。「これは先にも後にも彦根城だけで、多分二度とこんな全面発掘されるところは現れない」と小林室長は言う。

なぜ推薦書(案)の提出が予定より遅れたのか

今回の推薦書(案)提出には、当初の想定より約1年のずれが生じた。当初、今年3月の提出を目指していたが、実際は5月になった。
何故か!?。涙が出るほどにダメ出しが続いたらしい……。文化庁や専門家から何度も練り直しを求められた。その核心にあったのが、「比較の客観性」という難題だった。
大名統治システムは、彦根城だけに当てはまる仕組みではなく、全国の城に共通する仕組みだ。だとすれば、比較に使う項目も「全国共通の要素」でなければならない。そこで問題が生じた。
例えば、「玄宮園(彦根城内にある大名庭園)を比較の対象として使いたいのですけれど、金沢城の兼六園、岡山の後楽園など他の城の大名庭園は政治エリアの外にある。ということは玄宮園を比較項目に入れたら、初めから彦根城に有利になってしまいます。全国共通の仕組みを比較すると言いながら、全国共通じゃない比較をしていることになってしまうのです」。城内に唯一現存する馬屋も同様だ。彦根城ファンにとって誇らしいアピールポイントも、「全国共通の大名統治システムの比較」という観点からは外さざるを得ない。
「彦根城にとっては不利になる作業なのですが、非常に冷酷なまでに整理していきました。その作業にかなり時間を費やしています」。
そしてもう一つ、「遺跡での登録」であることを徹底させる言葉遣いの整理も必要だった。「御殿って言ってたら地上のものになってしまう。今は『御殿跡』と言っている。地上の建物だけじゃなく、地下の遺構も含めて比較しているのです」。

「合格点ではダメ」文化庁長官の言葉

今年3月23日、東京・衆議院第一議員会館で超党派の国会議員連盟の発足式が開かれた。その場で当時の文化庁次長(現・伊藤学治長官)がこう述べたという。
「彦根城は、世界で初めて事前評価制度を受けた遺産である。その記念すべき彦根城が及第点で合格ではダメだ。百点満点を取るくらいの気持ちで世界遺産を取りに行かなければならない」。
これが、3月の提出が5月にずれ込んだ理由の核心だ。「3月の末では実は百点満点ではなかった」と小林室長は言う。
世界遺産委員会には専門家ではない外交官も多数参加する。「頭のいい外交官は、論理的に通っていなければ矛盾にすぐ気づく。だから『大名統治システムとは何か』『大名とは何か』『城とは何か』など、私たちには自明のことでも、海外の方には全く分からない。その説明を省かずに丁寧に積み上げる作業を続けてきました」。
そしてついに、自信をもって推薦書(案)を提出できるようになったのが5月だったのだ。「かなりクリアになっています」小林室長はそう語る。

登録はゴールではない

三日月知事のコメントに「世界遺産登録はゴールではなく、彦根城の世界的な価値を伝え、次世代に引き継いでいくことが何よりも重要である」という印象的な一文がある。
実は、この言葉はSDGsの文脈とも深く響き合っている。SDGsのゴール11は「住み続けられるまちづくりを」。そのターゲット11-4は明快にこう定めている——「世界の文化遺産及び自然遺産の保護・保全の努力を強化する」。世界遺産の登録推進は、国際社会が合意した持続可能な都市づくりの目標の実践なのだ。
そして小林室長が繰り返し語るのも、登録後のまちづくりのことだ。「なんで彦根城っていうのはこの町に必要なのかっていうのは分からないままでいる」。この率直な問いかけは、私たちへの宿題でもある。SDGsのいう「住み続けられるまち」とは何か。彦根城はその答えのひとつになり得るのか。それを考えるのは、行政でも専門家でもなく、このまちに生きる私たち自身であるはずなのだ。

彦根城世界遺産登録 三つの問い

では彦根において、経済人・民間事業者が今から問い続けるべきことは何か、何度も議論されてきたことだが。三つに絞って提示したい。
第一に、「通過型」から「滞在型」への転換をどう設計するか。
彦根城は現在でも年間相当数の来訪者を集めるが、城を見てすぐ去る「通過型」が多い。世界遺産登録後、外国人観光客が大幅に増えるとすれば、その多くは城だけでなく「城下町の暮らし」「江戸時代の風情」を体験したいと考えるはずだ。どこで食べ、どこに泊まり、何を買うか——その「物語の続き」を城下町の中に用意することが、「消費」に転化する鍵になる(経済効果)。宿・飲食・土産・アクティビティーの連携が、今まさに問われている。
第二に、「大名統治システム」をどう「体験」に変えるか。
小林室長が指摘するように、大名統治システムは「目に見えないシステム」だ。推薦書の上では論理的に証明されても、来訪者がそれを実感できなければ、印象に残らない。彦根城博物館、表御殿跡、玄宮園、重臣屋敷跡、これらを点から線へ、線から物語へとつなぐコンテンツを、民間の力で作り上げられるかどうかが問われる。
第三に、「彦根の誇り」を言語化できるかである。
石見銀山で世界遺産ブーム後に残ったのは、「暮らしやすいまちを守りたい」という住民の意志だった。外部資本の店が撤退した後も、地元に根付いた事業者は残り、若者の移住・定住が少しずつ始まった。それを動かしたのは、世界遺産という「ブランド」への誇りではなく、「このまちで生きていく」という当事者意識だった。彦根においても同じことが言える。
「世界遺産になった城があるまち」という外付けのブランドに頼るのではなく、「彦根で商いをする者として、この城とこのまちをどう引き継ぐか」という内発的な問いを持ち続けることが、10年後・20年後の彦根の姿を決める。世界遺産登録はきっかけにすぎないのである。

準備は「今」始まっている

推薦書(案)が提出された今、手続きの行方を見守りながら、私たちは「その先」の準備を始めなければならない。登録後に慌てて動いた地域の轍を踏まないために、今から問いを立て、仕掛けを考え、仲間をつくる。世界遺産の登録審査は専門家に委ねるしかない。しかし登録後のまちを動かすのは、ほかでもない私たち自身なのである。
今後、「遺跡」として、彦根城をどう魅せ(観せ)ていくのかも大きな課題となるのではないだろうか。

小林隆氏 プロフィール

昭和41年(1966)、新潟県生まれ。 神戸大学・同大学院で日本史を学び、令和3年9月に三重大学(地域イノベーション学研究科)から学術博士を授与。
平成6年(1994)に彦根市職員となり、市史編さん室にて新修彦根市史編さん業務に従事。現在、彦根城世界遺産登録推進室長(観光文化スポーツ部副参事を兼ねる)をつとめる。