彦根市と近江八幡市で「BIWAKOビエンナーレ2020」が開催中だ(11月23日まで)。彦根城はもちろん、全国的にも珍しい和風礼拝堂(スミス記念堂)や足軽組屋敷、元遊郭の建物、昨年140年の歴史に幕を閉じた銭湯には、アーティスティックな空間が広がっている。そして、2020年10月23日(金)・24日(土)には、「森羅万象 COSMIC DANCE CONCERT in HIKONE」と題したコンサートが彦根市本町の宗安寺で開催される。「宇宙の音を紡ぎ舞う秋の夜の饗宴」、素晴らしい音楽とパフォーマンスを体感する2日間となる。宗安寺の重層的な「とき(歴史)」を知り会場に訪れたならば、宇宙の音を紡ぎ時間軸を編むことができるかもしれない。

森羅万象 「COSMIC DANCE CONCERT in HIKONE」の会場となる宗安寺

宗安寺の始まり

宗安寺は彦根藩初代井伊直政と共に在った上野国(現群馬県)の安国寺に由来する。安国寺は、足利尊氏・直義兄弟が室町幕府の全国平定を願い、暦応元年(1338)からおよそ10年の間に、各国に一寺を選び安国寺の称号を与えた中のひとつだ。天正18年(1590)直政が箕輪(現群馬県高崎市箕郷町)の城主となったとき、戦国時代の動乱で荒廃した安国寺を直政の正室東梅院が開基となり、両親の菩提を弔うために再興した。
慶長2年(1598)直政が高崎城主となると安国寺は高崎(現群馬県高崎市高松町)に、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの勲功で直政公が佐和山の城主となると、「宗安寺」と寺名を改めその麓に移された。寺名を改めたのは、西軍毛利方の将「安国寺恵瓊」の名を避けたためで、開基東梅院の父君松平周防守の戒名「無月宗九居士」の「宗」と母君の戒名「心誉理安大姉」の「安」を戴き宗安寺とした。そして、直政公没後、慶長8年(1603)宗安寺は彦根城下の形成に伴い、京都へ向かう京橋御門大手前通(本町)に移築され現在に至る。

井伊家ゆかりの寺は、清凉寺、龍潭寺、長松院など彦根市内には数多くある。そのなかで、宗安寺は彦根藩における徳川家康公尊牌奉安所となった。 徳川家は浄土宗の信徒であり、元和2年(1616)家康が亡くなると、同じ浄土宗の宗安寺が尊牌奉安所として選ばれたのだ。
直政は15歳のとき家康に見出され、徳川四天王のひとりとして次々と戦功をあげ譜代大名の筆頭となった。息子の直孝は家康の命により第2代藩主の座に就き、幕府元老として4代将軍家綱の代まで仕え、家康に大きな恩義があり、毎年宗安寺には彦根藩主自ら参拝していたという。

ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)と朝鮮通信使

李朝高官肖像画(市指定文化財 宗安寺蔵)

朝鮮通信使は、朝鮮国(李氏朝鮮:1392~1910)の国王が、日本の徳川政権に対して派遣した公式の外交使節である。豊臣秀吉の2度にわたる侵略で途絶えていた朝鮮との交流を再開した徳川家康は日朝友好の証とした。1607年から1811年までの間に12回派遣された外交使節団の記録が残っている。本格的な通信使が訪れるようになったのは寛永13年(1636)からで、この後は、江戸時代を通して8回。そのうち文化8年(1811)の最後の来日を除き7回の応接を彦根藩は幕府から命じられている。
宗安寺は朝鮮通信使の正使・福使・従事官の宿泊所だった。使節は多いときには500人、少ないときでも400人ほどで、江國寺、大信寺などの寺や町人宅に分宿していた。宿泊・昼食の世話に4万5千石を費やした彦根藩あげての大接待だったのだ。
彦根藩の受け入れ対応の土台を作ったのは第2代直孝である。江戸にいた直孝から事細かな指示が出されている。宗安寺については、畳を残らず表替えすること、それも当時から高級品とされた備後表か近江表を用いること、寺中の掃除、庫裡の必要に応じた拡張、雪隠、湯殿の準備や、料理は京都から料理人を多めに呼び寄せることなど、食材についても手配の指示をしている。直孝の繊細な配慮は、朝鮮使節の接待が「公儀へのご奉公」であるというだけでなく、その失態は「日本にての恥」、ひいては異国まで悪く取り沙汰されかねないという思があったからだという。
2017年10月31日、日本国内12都府県と韓国にある江戸時代の外交資料が「朝鮮通信使に関する記録 17世紀〜19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」が「世界の記憶」に選ばれた。
「世界の記憶」はユネスコが主催する事業である。不動産を保護する「世界遺産」とは別に、口承による伝統や表現、伝統芸能や祭礼、慣習、工芸技術などの無形の遺産を保護する「無形文化遺産」と、書物や楽譜、手紙などの記録物を保護する「世界の記憶」がある。「世界の記憶」は、1992年にユネスコが立ち上げた「世界の記憶プログラム」により登録される遺産である。
「朝鮮通信使に関する記録」には、滋賀県に所在する「琵琶湖図」(県所有・琵琶湖文化館保管)、「雨森芳洲関係資料」(重要文化財・長浜市芳洲会所有)、「朝鮮通信使従事官李邦彦詩書」(近江八幡市本願寺八幡別院所有)などが登録されたが、彦根市に遺る資料の登録はなかった。
今後研究が進み、彦根の朝鮮通信使資料が「世界の記憶」に追加登録されるとを期待したい。

彦根ゆかりの朝鮮通信使関係資料

  • 伝朝鮮高官像(宗安寺蔵/彦根市指定文化財)
  • 朝鮮人御馳走御用御入用積作事方萬仕様帳(宗安寺蔵:宝暦13年)
  • 扁額「江國寺/朝鮮國雪峯」(江國寺蔵)明暦元年の通信使書吏金義信筆
  • 龍潭寺六世藍溪墨蹟「喜」(龍潭寺蔵)正徳元年の通信使随員に帰路再び会えた喜びを記す
  • 公儀御分間御役入御見分朝鮮人案内(彦根市立図書館蔵)享和・文化年間
  • 朝鮮通信使行列図(滋賀大学蔵)
  • 井伊家伝来資料より
    朝鮮人帰国之節今須宿火消御用留(延享5年)/朝鮮聘使詳解(正徳元年)/ 朝鮮人来聘道法付覚(正徳元年)/朝鮮人来聘之節饗応舞楽記(正徳元年)/朝 鮮人御礼之絵図(寛延元年/朝鮮通信使登城之節着座図並井伊備中守着座先 例書(寛延元年)/朝鮮通信使御礼之式書(明和元年/朝鮮人御礼御饗応席図 (明和元年)/朝鮮人登城之節大広間之図並朝鮮人曲馬之節上覧所道筋並吹上 見物之図(明和元年)/朝鮮人来聘ニ付直勤之式書(明和元年)

参考
  • 『新修彦根市史』( 第二巻通史編 近世)
  • 「善隣友好の道 朝鮮通信使と朝鮮人街道」RECコミュニティカレッジ第5回 20170727 資料、他