森川許六は明暦2年(1656)、代々武術指南役を務める彦根藩士の家に生まれた。21歳の時に彦根藩第三代井伊直澄に仕え、元禄2年(1689)に300石を禄した。本名を森川百仲、通称を五助、五老井・菊阿佛・無々居士と号した。許六は、彦根藩士としてではなく「蕉門十哲」の一人としてよく知られ、その名は「六芸に秀でたる才人」と芭蕉がつけたといわれる。俳諧は芭蕉が師となり、絵は許六が師となったという逸話も残っている。

牡丹唐獅子図(下間二の間):龍潭寺方丈のなかで最も躍動感のある画題。力強い獅子は邪気を退け、華やかな牡丹は富貴を象徴するとされる。

龍潭寺には襖56枚・104面に許六が描いた襖絵が遺っている。寺伝によると、彦根藩士で龍潭寺の檀家 中野助太夫三宜が許六に依頼し、襖絵の完成は次代の助太夫のときであったと伝わる。
龍潭寺方丈の各10室にはそれぞれ一つずつの画題が描かれている。

麟鱗鳳凰図(仏壇の間)・西湖図(室中)・群仙図(上間一の間)・松竹梅鶴図(上間二の間)・竹林七賢図(下間一の間)・牡丹唐獅子図(下間二の間)・秋草兎図(東入側一の間)・龍虎図(東入側二の間)・群馬群禽図(西入側一の間)・四季耕作図(西入側二の間)

松竹梅鶴図(上間二の間):松竹梅と六羽の鶴。吉祥の意味を持つ松竹梅と鶴を組み合わせている。画中には、薔薇、鶺鴒、躑躅、万年青、梅が配されており、四季の変化を意識しているといわれている。

龍潭寺第19代北川宗暢住職は「許六が描く前の襖絵は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師、海北友松が描いたものでした。それを8枚の掛け軸とし、法類(同宗・同派に属し、密接な関係にある寺院または僧侶)の証として各寺に譲られました。龍潭寺とびわ町の安楽寺に現存しています」と話してくれた。龍潭寺の掛け軸は彦根城博物館に寄託されている。
彦根で生まれ育った人ならば一度は龍潭寺を訪れたことがあるだろう。森川許六の「方丈襖絵」は、それと知らなければ気づくことのない宝物なのである。


参考
  • 『彦根龍潭寺方丈 森川許六の襖絵』図録 彦根城博物館 1989年 編集・発行 彦根城博物館