五百羅漢

天寧寺(彦根市里根町)は、文政2年(1819)彦根藩井伊家11代直中が建立した曹洞宗の禅寺である。井伊家2代直孝が初代直政の生母の菩提を弔うため、彦根城下に建立した宗徳寺が起源という。この寺を直中が当地に移したとき、寺名を天寧寺と改めた。
天寧寺建立には悲話が伝わっている。
槻御殿奥勤めの腰元若竹が不義の子を宿したと噂があった。若竹は相手の男の名を詰問されても固く口を閉ざし、藩の法度により死罪に処された。ところが若竹の相手が直中の長男直清だったことが判明する。
直中は若竹と自分の孫となるはずだった子を葬ったことに心を痛め、追善供養のため京都の仏師・駒井朝運(こまいちょううん)らに五百羅漢を彫らせたという。「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」といわれ、直中の心中を察して余りある。
「五百羅漢」の文化財としての名称は「木造釈迦・十大弟子像ならびに 十六羅漢・五百羅漢像」(527躯)。江戸時代後期の阿羅漢像の様式を今日に伝える市指定文化財である。

五百羅漢

十六羅漢

本堂の奥の書院の庭は井伊直弼が愛した(直弼好み)面影が今に遺る「石州流庭園」である。裏山「佐和山の東山麓」の自然の岩肌を利用し、西国の16大名が寄進した石像十六羅漢が配置されている(書院は現在拝観不可)。この十六羅漢を明治25年(1892)に来日したアルフレッド・パーソンズ(Alfred Parsons 1847〜1920)という英国人画家が描き、西洋に紹介している。
パーソンズは、9ヶ月の間日本中を歩きまわり、明治中期の日本の風景を描いた。日本の水彩画家三宅克己、大下藤次郎、丸山晩霞、石井柏亭などに大きな影響を与えた人物である。イギリス王立水彩画家協会の会長を務め、今現代も世界的に高名なバラの植物図譜として知られる『バラ属』(The GenusRosa)の図版を制作している。
当時、パーソンズは5月末から6月はじめにかけて、彦根の楽々園と天寧寺で1ヶ月を過ごし、天寧寺の書院に滞在した折には、書院や十六羅漢、寺からの眺望など彦根の風景を描いている。帰国後に発表した日本紀行文 『NOTES IN JAPAN』(1896年刊)には、彦根での経験も細やかに記されている。直中の遺産を初めて西洋に紹介した宝物のような一冊である。

十六羅漢

 

*『NOTES IN JAPAN』

『イギリス人画家パーソンズと彦根』(サンライズ出版)や滋賀大学経済研究所の企画展(2018)『英国人画家パーソンズが描いた明治中期の 彦根 長浜 米原』で、当時の様子を知ることができる。