日本最高の芸術作品、国宝 大悲閣

松峯山金剛輪寺(愛知郡愛荘町松尾寺874)は天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基によって開山された古刹である。本尊の聖観世音菩薩(秘仏)も行基の作と伝えられている。平安時代のはじめには、比叡山延暦寺の慈覚大師が来山、天台密教の道場となり、天台宗の大寺院となった。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映中だが、木曽義仲追討のため近江に入った源義経は寿永2年(1183)戦勝祈願に訪れている。本堂「大悲閣」は国宝である。文永・弘安役(蒙古襲来)の戦勝の記念として、弘安11年(1288)近江守護職・佐々木頼綱によって建立されたものだ。
ところで、1964年の東京オリンピックでは「日本最高の芸術作品を展示する」というコンセプトで芸術、芸能などさまざまな公演や展覧会が行われた。40万人が来場したという東京国立博物館で開催された「日本古美術展」(1964年10月2日〜10日)では、文部省は世界に誇る日本の建物として「大悲閣」の模型(スケール1/10)を製作し展示している。

本堂「大悲閣」(国宝)

本堂「大悲閣」(国宝)

三重塔(重要文化財)

金剛輪寺庭園

本坊明寿院(みょうじゅいん)は、江戸時代の創建といわれ、学頭所として使われていた。本坊の南・東・北の三方を囲むように作庭年代の異なる3つの庭園があり、国の名勝に指定されている。「石楠花(しゃくなげ)の庭」と呼ばれる桃山時代の庭。岩肌が露出した枯れ滝が配され、夏の季節には池一面の睡蓮(すいれん)が清楚な花を咲かせる江戸初期の庭。江戸中期の庭には池中に七福神の宝船を表わす岩でできた舟が配されている。

赤報隊が結成された水雲閣

庭園を見渡すように建つ湖東随一の茶室「水雲閣」は、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。茶室からの庭の眺めは美しく一度は見ておきたい光景である(非公開)。この「水雲閣」が幕末の歴史の1ページを刻む舞台だったことを知る人は少ない。
公家の岩倉具視の了承を得て薩摩藩西郷隆盛が組織した「赤報隊」は、長州藩・薩摩藩を中心とする明治新政府の東山道鎮撫総督指揮下の一部隊である。慶応4年1月8日(1868年2月1日)に「水雲閣」において結成された。隊長は相楽総三。一番隊から三番隊があり、三番隊は近江出身の者が多く、主に水口藩士だった。隊の名前「赤報隊」は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられた。赤心とは、嘘いつわりのない、ありのままの心のことである。行基の作と伝えられている本尊の聖観世音菩薩は「生身の観音」とも呼ばれている。行基が彫刀を進めると木肌から赤い血が一筋流れ、粗彫りのまま本尊として安置したという。赤報の名に相応しい場所だったのではないだろうか。

庭園に佇む茶室「水雲閣」

茶室「水雲閣」内部

金剛輪寺の国宝・重要文化財

  • 大悲閣本堂 弘安11年(1288) / 国宝
  • 三重塔 寛元4年(1246)建立、昭和53年復原修理工事完工 / 重要文化財
  • 二天門 室町時代 / 重要文化財
  • 大行社本殿 室町時代 / 重要文化財
  • 阿弥陀如来坐像二軀 鎌倉初期 / 重要文化財
  • 不動明王立像 鎌倉初期 / 重要文化財
  • 毘沙門天立像 鎌倉初期 / 重要文化財
  • 四天王像四軀 鎌倉初期 / 重要文化財
  • 慈恵大師坐像二軀 鎌倉初期 / 重要文化財
  • 大黒天半跏像 弘仁期 / 重要文化財
  • 十一面観世音立像 平安中期 / 重要文化財
  • 銅磬 鎌倉時代 / 重要文化財

近江三社寺ものがたり

6月20日、彦根商工会議所4階大ホールで2022年度のヒストリア講座「近江三社寺ものがたり」第1講が開講される。近江三社寺とは、多賀大社、西明寺、金剛輪寺だ。それぞれ、多賀大社・片岡秀和宮司、西明寺・中野英勝住職、金剛輪寺・濱中大樹住職が登壇される予定だ。「歴史観光の愉しみは事前学習の深さに関係する」といわれている。身近にある宝物の再発見の機会となるに違いない。
金剛輪寺のコンテンツでは、水雲閣内部を動画で紹介する。また、海外流失した金剛輪寺の仏像などの話を聞くことができる。

近江三社寺ものがたり

講師
多賀大社 片岡秀和宮司
西明寺 中野英勝住職
金剛輪寺 濱中大樹住職
日時
2022年6月20日(月)19:00〜(18:30開場)
場所
彦根商工会議所4階大ホール
参加料
500円
定員
100〜150名
主催
世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム
運営
彦根商工会議所

彦根プレミア塾 2022 彦根ヒストリア講座「近江三社寺ものがたり」