佐和山隧道(ずいどう)の完成を祝う古写真

彦根城博物館は10月4日まで、彦根市元町の松居石材商店が行ってきた佐和山隧道(ずいどう)や賤ケ嶽(しずがたけ)隧道のトンネル整備など、地域への功績を紹介した特集展示「松居石材商店の歴史」を開いている。
松居石材商店は初代・孫兵衛が現在の大津市北部から彦根に移り、文政12年(1829年)に創業。墓、灯ろう、鳥居、石碑を主に製造し、明治43年(1910年)に建立された井伊直弼公の銅像の台座を作り、昭和4年(1929年)から昭和8年まで多賀大社での大造営にも携わった。
3代目・六三郎(1866年~1936年)は明治36年に大坂で開かれた第5回内国勧業博覧会に釣燈籠(つりとうろう)を出品し、その高い石造技術が評価された。

大坂での内国勧業博覧会に出された釣燈籠

石屋の範ちゅうを超えて本格的な土木工事にも取り組み、滋賀県から請け負った大正8年(1919年)から同13年にかけて施工した佐和山隧道や、大正13年から昭和2年にかけて工事した長浜市の賤ケ嶽隧道などを手がけた。六三郎は明治末期から大正時代にかけて彦根町会議員を計4期務めるなど地域の発展に尽力した。
特集展示では松居家が所有する関連資料36点を展示。佐和山隧道の古写真は、隧道の完成を祝って日の丸を掲げ、武士の姿に仮装した市民たちが練り歩く様子が写されている。佐和山隧道は当時の佐和山山中の道を越えられるよう、明治時代初め頃からの地元民の要望を受ける形で築かれ、現在の歩行用トンネルの上部に現存する。
賤ケ嶽隧道西口の題額原稿は、隧道西側の入り口上部に掲げられている額の題字原稿。大正8年から大正12年まで滋賀県知事を務めた堀田義次郎が「周道如匡」と書いた文字で、「曲がりくねった山の道をまっすぐにただす」との意味だとされる。

賤ケ嶽隧道の題額原稿

明治36年に六三郎が内国勧業博覧会に出展した釣燈籠は一部を除き、一つの石を切り出して製作。屋根の端の渦巻き形の返しなど細かな装飾を表現している。
ほかに、天寧寺に文久元年(1861年)に建立された井伊直弼供養塔の傍らに「井伊直弼公供養塔」と書かれた案内表示の石碑があり、その文字原稿が資料として残っている。区長や彦根町会議員を4期務めた三代目の六三郎に町民一同から昭和6年1月に出された感謝状も展示している。
会期は10月4日までの午前8時30分~午後5時、入館は午後4時30分まで。

昭和6年1月に出された感謝状