田原総一朗氏 プロフィール
ジャーナリスト。1934年滋賀県彦根市生まれ、早稲田大学文学部卒業。
岩波映画製作所 テレビ東京を経て、1977年フリーに。現在は政治・経済・メディア・コンピューター等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。テレビ朝日系で1987年より『朝まで生テレビ』、1989年より2010年3月まで『サンデープロジェクト』に出演。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、1998年「ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)」を受賞した。2010年4月よりBS朝日にて「激論!クロスファイア」開始。
2002年4月より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講、未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたる。2005年4月より2017年3月まで早稲田大学特命教授。
2019年ATP賞特別賞、2022年日本外国特派員協会「報道の自由賞」を受賞。
『井伊家の教え 彦根藩35万石はなぜ300年続いたのか』(プレジデント社)など、著書多数。
私は滋賀県彦根市の生まれで、いまでも月に2、3回は彦根に帰省する。新幹線の〝ひかり〟で向かい、米原駅で下車、米原駅から車で彦根に向かうのだが、その車中で味わう〝わくわく感〟は幾つになっても消えるものではない。
車中から見えてくる彦根城の天守が、視界の中で次第に大きくなって流れていく景色は、私に帰ってきたという安堵感を与えてくれる。晴れの日も、曇りの日も、雪の日であったとしても、何度見ても見惚れるほどの美しい光景なのである。
私にとっての彦根城とは、私自身が最も大切にしている原風景の一つで、井伊家とリンクしながら、私という人間を構成する大きな要素になっている。
いまでも思い出すのは、彦根城の石段登りである。高校の1年のときだ。私は硬式野球部に入部し、夕方は城内にあった高校からお堀を1周し、彦根城の石段を上まで走って登った。これを毎日していたのだ。
晴れの日はもちろん、雨、雪の日も、石段登りがあった。かなりデコボコした石段で、真っ直ぐではないため、その石段を走りながら登るのは相当きつかったことを思い出す。
彦根城はいまもたびたび歩いているが、築城について簡潔に説明する。
彦根城は、徳川家康の命により行われた天下普請だった。公儀御奉行が付き、12大名が築城に参加した。天下普請は1606年(慶長11年)に完了し、1616年(元和2年)からは彦根藩のみで工事を行ったという。
彦根城は、〝節約の城〟である。天守は、関ヶ原合戦の前哨戦である大津城攻防戦で落城しなかった大津城の天守を、目出たい天守として、徳川家康の命で移築されたものだ。もともと5層だった天守を3層にしたので、形がほんの少しいびつかもしれない。彦根市内であれば町のどこを歩いていても天守が見えるくらい山の上のほうにそびえている。
天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城から、太鼓門櫓はどこかの城の城門を移築したといわれている。建物や石材の移築転用は、縁起担ぎとコスト削減、工期短縮のために行われていたのだ。
彦根城内にある彦根城博物館は表御殿を復元したものだ。藩主の家族の住まいである「奥向(おくむき)」も再現されている。35万石のお殿様の暮らしとは思えぬ程質素で、もっと豪華にしてもいいのではと思う程の様子からは、質実剛健、無駄遣いを嫌う家風が感じられる。
彦根城は、江戸期に築城された天守がそのまま残っている城で、松本、犬山、姫路、松江と彦根の5城の天守が国宝に指定されている。彦根城の維持に彦根市も滋賀県もがんばって欲しい。