安居 智博(やすい ともひろ)
1971年滋賀県彦根市生まれ。幼少の頃より紙と針金による紙工作「カミロボ」を作り続ける。現在は作品発表や商品企画など多方面で活動中。
2006年 イギリスICAにて展覧会
2006年 News Week誌「世界が尊敬する日本人100」選出
2008年 MoMA(ニューヨーク近代美術館)MoMA storeにてカミロボフィギュア販売
2010年 メキシコ国立自治大学付属チョッポ美術館にて展覧会
2022年 平凡社より著書「100均グッズ改造ヒーロー大集合」出版
「私と彦根城」というテーマで文章を書く、という事でご依頼をいただいた瞬間に、僕は「あの話を書こう!」と心の中で即決したエピソードがありました。
それはウチの母親が小学生の頃に体験した「彦根城で狐に化かされた話」です。
僕はこれを子供の頃に母から聞いて、その幻想的なイメージに大きなインパクトを受けたのを覚えています。
とは言え、「彦根城世界遺産への道」というタイトルのついた真面目な場面でこんな荒唐無稽な文章を書くのは如何なものかな…と躊躇する気持ちもあったのですが、自分が彦根城に関して文章を書かせていただくのなら、やはりこれしかないだろうな、と思ったんですよね…。
なんだそれ、気持ち悪いなぁ、と思われる方もいるかもしれないですが、これは恐ろしい怪談みたいな感じではなく、彦根城にまつわる一つの和風ファンタジーとして読んでいただけるとありがたいです。
そんなワケで、以下、母から聞いた話です。
ウチの母が小学生の頃の話。
クラスのみんなと彦根城に写生大会に行った帰り、集合場所に戻るために友達と二人で長い石段を降り始めた時の事。
石段を中程まで降りると、突然二人はなぜか異世界のような「別の空間」に迷い込んでしまって、石段下の集合場所まで降りて行けなくなってしまった。
何度降りようと試みても迷い込んでしまうその「別の空間」は、極彩色の鶏たちが一面に歩いている幻想的な世界だそうで、必死に足を動かしてもそこから抜け出せなかったらしい。
石段下の集合場所から「こっちこっち早く~」と、笑いながら呼んでいるクラスメイト達の姿はハッキリと見えているのに下まで降りて行けない二人は、パニック状態でとうとうその場にしゃがみこんで泣き出してしまった。
そんな二人を下から見ていた担任の先生が不思議に思って石段を上がってきてくれたのをきっかけに鶏のイメージは目の前から消えて無くなり、二人は無事に下まで降りられました、メデタシメデタシ。
…とまぁ、こんな話なのですが、如何でしょうか…。
なんでそんな事が起きたのか、という部分について当事者二人は「あれは狐に化かされたに違いない」と言い張っているのですが(笑)まぁ確かに「きっとそうなのだろうな」と思わせる不思議な話の説得力というか、迫力のようなものは感じるんですよね。
この手の話は人によって様々な意見があると思いますが、いずれにしても、伊藤若冲の花鳥画を思わせるような鶏のイメージは美しく、しかも二人の人間が同時に体験したという部分も非常に興味深く、信じる信じないに関わらず、なんとも面白い話があるもんだなぁ、と僕なんかはしみじみ思うのです。
現在僕は京都市在住で、日常的に彦根城を目にする機会も減りましたが、たまに帰省して彦根城を見るといつもこの話を思い出して「あれは本当に不思議な話だよなぁ…」なんて思いながら、幻想的なファンタジーの世界に思いを馳せたりしています。