毎朝、通勤の途中で彦根駅の窓から彦根城の天守を見るたびに、幼い頃の悲しい記憶がよみがえります。
私は、新潟県南魚沼郡六日町(現在の南魚沼市)で生まれました。故郷の越後には、たくさんの城が築かれましたが、そのほとんどは戦国時代の山城でした。私の実家の窓から見える坂戸山にも、上田長尾氏の居城である坂戸城が築かれました。坂戸城主の長尾政景は、越後の戦国大名だった上杉謙信が一目置く武将で、謙信の姉が政景に嫁ぎ、二人の子供の景勝が謙信の跡を継ぎました。私は、越後のあるじが生まれ育った場所で暮らしていることに誇りを感じていましたが、同時に、大きな不満を抱き続けていました。坂戸城は山城で、天守は築かれなかったようです。大人たちが本丸、上屋敷、中屋敷、下屋敷と呼ぶ城跡には、そこがお城だったことを伝える建物は何も残っていません。坂戸城が、テレビや雑誌などで紹介されている天守や櫓があるようなお城だったら良かったのにと、とても残念に思いながら幼少期を過ごしました。

坂戸山(坂戸城跡):戦国時代、山全体が山城であった坂戸山。上杉謙信ゆかりの城跡であり、上杉景勝、直江兼続の居城でもありました。坂戸山頂には、本丸上屋敷跡、中腹の中屋敷、山麓の城主館、家臣屋敷跡などは今も完全に残っています。山麓には長尾政景の墓所と、上杉景勝と重臣直江兼続の生誕の碑があります。ふもとには、殿様が銭を投げ込んだという伝説の残る「銭淵公園」があります。(一社 南魚沼市教育委員会ウェブサイトより)

彦根市は、日本国内で数少ない現存天守のあるまちです。それも、江戸時代に日本の政治を支えた井伊家の居城です。井伊家は、江戸時代を通じて仁政につとめ、領民から厚い信頼を寄せられました。金沢城主の前田家に仕えた兵学者である有沢永貞は、お城の変わらぬ姿が領民たちに平和を感じさせたと述べました。それは、彦根城についても同様です。社会の平和を長く守り続けた彦根城は、地域住民の心の支えになりました。

私は、彦根城を見るたびに、「さて、今日も、がんばるか!」と思います。彦根城から彦根で働く力をもらっています。彦根城は、世界の他の資産には見られない価値を持っているだけでなく、私たちがこの地で暮らしていく力を与えてくれるかけがえのない資産です。彦根城の世界遺産登録を機に、私たちは、これからもずっと私たちの暮らしを支える彦根城とともにこの地で生きていく、そんな気持ちを改めて感じ直すことが大切だと思います。