赤こんにゃくといえば近江八幡……そう思っている人に、ぜひ知ってもらいたいこんにゃくがある。彦根市芹橋に製造工場を構える山中商会。彦根市内で唯一のこんにゃく専門店だ。

昭和20年(1945)9月、終戦の翌月、彦根市本町1丁目に一軒のこんにゃく店が生まれた。山中商会の創業者は山田満次郎という。きっかけは、長浜の軍需工場(ヤンマー)で肩を並べて働いていた中村さんとの縁だった。「彦根にはまだこんにゃく屋がない。一緒にやろう」と話が煮えた。屋号は「山中」。山田の「山」と中村の「中」を一文字ずつ取って合わせた。以来、こんにゃく一筋。平成14年に現在の芹橋へ移転、今年で創業81年を迎える。
3代目の山田順彦(としひこ)社長は、大学を卒業後、読売新聞社の旅行事業部に就職。巨人軍のグアムキャンプに添乗して、王貞治さんや中畑清さんと言葉を交わした日々もあった。しかし31歳のとき、父・一郎から「帰ってこい」と呼び戻された。 屋号「山中」に一郎の「一」を加え、「山中一」としたのは順彦さんだ。「祖父が仕込み、親父が守り、私が新しい屋号を掲げた。これがうちのルーツです」という。社名「山中商会」とともに、父・一郎の名から一文字取った「山中一(やまなかいち)」の屋号も大切に守り続けている。

しなやかで、こしが強い彦根ブランド「赤兜蒟蒻の誕生」

こんにゃくは、主に「色」や「原料・製法」によって、赤・白・黒(黒っぽい灰色)に分類される。山中商会は一般的な「黒」や「白」の他、赤蒟蒻も地域の要望をうけて創業当時から製造を続けてきた。鉄分を含んでいるため健康・ヘルシー食材としても親しまれている。鉄分を混ぜる工程が難しく、順彦さんは先代に教えを受けたという。
転機は平成19年の「国宝・彦根城築城400年祭」だった。商工会議所と観光協会が開いた土産品審査会への参加が、新たな挑戦の扉を開いた。「赤兜蒟蒻」というブランドを思い描いた順彦さんは、奥様とともに井伊家当主・井伊直岳さんを訪ねた。「ぜひやってください」。その言葉を胸に、3年の試行錯誤の末、「赤兜蒟蒻」が誕生した。
山中商会の蒟蒻は群馬県産の上質な蒟蒻芋を原材料に使っている。独特のしなやかさとこしの強さはこの芋でなければ生まれない。父親の代から縁のある商店が「山中さんのために」と地域限定の上質な原料を送り続けてくれているという。こうして生まれた赤兜蒟蒻は、他社のこんにゃくが横に寝かせて陳列されるなか、棚の上にすっくと「立って」並ぶ。しなやかで、こしが強い。その力強い存在感は、高崎から彦根へ移った井伊直政公の“赤備え”を思わせる。まさに赤備えの証。
ラベルには初代・井伊直政公の兜と井伊家の家紋。そしてパッケージの結び目をよく見ると、蝶々結びが「逆さ」になっている。「直政公の兜の天衝をイメージしました」と奥様はこだわりを明かす。
昨年の国スポ開催に合わせて発売になったひこにゃんパッケージ「味付け赤こんにゃく」は、昆布の旨みと醤油・三温糖(さんおんとう)のやわらかな甘みが秀逸な自慢の一品。調理不要で、すぐに食べることができ人気だ。味付けについては「近江牛やエビ、イカなど試し、試行錯誤の末、ようやくたどり着いたのが昆布出汁でした」という。

彦根の赤こんにゃく ひこにゃんパッケージ

食卓に色は添えても、カロリーは添えない

関ヶ原の戦いの後、彦根藩初代となる直政公は群馬県の高崎から近江佐和山城へ入った。そして幕末。江戸時代260年の鎖国という祖法を破り、日本を開国に導いた直弼公の幼名は「鉄之介」。赤こんにゃく「鉄之介ちゃん」はこの幼名に肖ったネーミングだ。鉄分が生む赤が、歴史と重なる。
「食卓に色は添えても、カロリーは添えません。不溶性食物繊維が豊富で鉄分も含まれていますので、健康に役立ててほしいです」。順彦さんが笑いながら口にしたこの言葉は、赤蒟蒻の魅力のすべてを物語っている。

「赤こんにゃくは近江八幡とちゃうの?」と言われるたびに「いいえ、彦根の赤こんにゃくです」と声を枯らして宣伝してきたという。「山中さんのこんにゃくは、味も粘りも他とはちがうね」と言ってもらえるのが一番の喜びだという。