市民の生活を支えてきた商店街は時代の変化とともに大型スーパーの進出や後継者不足が進み、生鮮三品(魚・肉・野菜)を扱う個人商店は絶滅の危機にある。かつてはどこの町でも見られたこの風景は今やTVや映画のなかで追体験をするしかなくなった。しかし花しょうぶ通り商店街に、70年近くの歴史を誇るレトロな魚屋がそのスタイルを守り続けている。
越前から彦根へ
彦根の旧城下町で昭和の佇まいと対面販売のスタイルで、常連客から絶大な信頼を集めているのが、老舗鮮魚店「魚浩(うおこう)」だ。Webでも注目されSNSを賑わせている。
魚浩の来歴は昭和37年(1962)、長田家の長女・美恵子さんが越前(福井県)から嫁いできたことから始まる。新婚間もない昭和39年、仕入れから帰宅した夫が心筋梗塞で急逝。姉を支えるため、次女の千津子さんが会社を辞め彦根に引っ越してきた。19歳だった。昭和41年、三女の千代子さん、その後、両親も呼び寄せた。三男の修二さんはまだ中学生だった。昭和60年、再び不幸が襲う。今度は交通事故で美恵子さんを失い、京都の料亭で修業をしていた修二さんが店に入ることになった。34歳の時だった。以来、弟妹で力を合わせて店を守ってきた。
「困っている家族がいれば、誰に言われるでもなく手を貸す」。それは両親の教えで、そうするのが当たり前のことだったという。
御用聞きの時代
魚浩の歩みは、商店街の賑わいの歴史でもある。つい最近まで生鮮三品の店をはじめ、糀屋、履物屋、和蝋燭屋など昔ながらの店が軒を連ねていた。
スーパー、コンビニ、ウーバーという言葉も、宅配という概念も無かった時代、魚浩は対面販売を基本に、各家庭から注文が入ると、夕食の献立に合わせてお刺身や焼き魚を届けてきた。自宅で冠婚葬祭が行われた当時は、板前の修二さんが腕を振るう仕出しなど、地域に欠かせない存在だった。
花しょうぶ通り商店街に隣接して多くの料亭やスナックが立ち並ぶ「袋町」と呼ばれるバックグラウンドがあり、独特な経済圏をつくっていた。「袋町の料理屋さんやスナックへ毎日配達に行っていました。鮮魚だけでなく焼き魚なども。お得意さんも多くありました」と振り返る。
変わらないスタイル
城下町の商店街の多くがライフスタイルの変化とともに機能を失い、観光客向けの通りへと姿を変えるなか、「時代に合わせて設備投資をしてこなかっただけなんですよ」と修二さんは笑っている。しかしその変わらなさが、いまでは昭和レトロとして注目を集めることになった。
今も相変わらず「夕方帰ってくるときまでに、焼いといて〜」と、焼き具合も、時間指定できるのが商店街の魚浩なのだ。最近は「天ぷらの盛り合わせ」や花しょうぶ通り名物「だし巻き」も店先に並び、お惣菜系も充実している。
平成15年、店に隣接する建物で海鮮料理の食堂をオープン。県外から新しい客層が訪れるようになった。リピーターも多いのが魚浩の商いを物語っている。
商店街が役目を終えて滅び行く現代において、魚浩が放つ温もりと本物の味と商いのスタイルは、街の歴史と人情を未来へ伝える貴重な存在だ。千代子さんのご主人の泰弘さんも会社を退職後、店に立つようになった。店を担う全員がもうすぐ75歳越え!そこがまた魚浩の魅力でもある。