大洋産業株式会社(DEWx)

彦根市芹川町528(本社工場) tel.0749-22-6213
https://www.taiyosangyo.co.jp

ロゴは、「DEW(しずく)」のX乗 + 水の集合体(潤い)から広がる若葉 これから成長し続けるイメージをデザイン。社是「一滴、乾坤を潤す」(一滴の水がよく 大地を潤し、樹木草花を育み、緑に輝く地球を作り上げるという意味)。

オイルショック&バブル崩壊

大洋産業株式会社は、 プラント配管工事、水処理装置・産業用機械などの設計・開発・製造・加工・組立など「提案型設計と顧客密着型モノづくりの融合」を目指す中小企業である。本社は彦根にあり、大津営業所、甲良工場、ベトナムに事業所を展開している。
大洋産業の歴史は「創業期」、「第二創業期」、「第三創業期」の三つの時代に分けて捉えることができる。
創業期は、朝鮮戦争特需によって、日本全体が戦後復興から高度経済成長に差し掛かろうとする1951年地場産業のバルブ製造事業で創業(創業者は細川俊二氏)、企業として成長を遂げた時代である。
第二創業期は、1978年のオイルショックの影響で取引先の事業が軒並み縮小し、大洋産業もバルブ製造を停止せざるを得なくなり、困難を乗り越えようとした時代である。これまでバルブ製造で培ってきた技術や資産が活用できる新たな事業を模索するなか、水処理装置や検査装置の製造を手がけ、事業を再び成長軌道にのせていった。しかし、1990年以降、バブル景気の崩壊により長い停滞期を迎えることになる。

リーマンショック&事業承継

3代目社長の小田柿喜暢氏

2代目細川達社長から小田柿喜暢氏に事業承継が行われたのは、ようやく成長軌道に戻ったかと安堵し始めた2008年だった。第三創業期の始まりである。設計力を強化するため3次元CADシステムを導入、クリーンルームのある甲良工場を竣工した。その矢先、リーマンショックが襲う。取引先の状況も一変し、客先の設備投資動向に一喜一憂し、売上が3割減少するなど厳しい業績への暗転であった。
更に追い打ちをかけるように、創業者、2代目オーナーが相次ぎ急逝する。親族外への突然の事業承継となり、小田柿氏は、創業者の考え、先代の経営方針、あるいは大洋産業のこれまでの経営の歴史さえ分からぬまま、リーマンショックの激変に立ち向かうことになる。小田柿氏にとって幸いだったのは、オーナーと経営が分離し、オーナー一族に掛かっている借金や担保が無く、非常に透明な経営が可能だったことである。

五里霧中での社長就任

3代目社長に就任した小田柿氏は、厳しい経営環境の中、心折れることなく自ら積極的に調べ、学び、そして挑戦していった。1年目には、中期経営計画を策定し、社内規則を見直し、財務改善計画を実行するとともに、中小機構や商工会議所などが主催する講演会やセミナーへの参加によって情報収集とネットワークづくりを精力的に進めていった。そして2年目、評価制度や給与体系の見直し、組織変更に着手する。
2013年海外法人(ベトナム)を設立。ベトナムの事業所は、小田柿氏が一人で準備を進め、現地の工場とのパートナーシップにより、極力設備投資をせずに展開している。中小企業が単独で海外進出をする例は珍しく、こうした果敢な挑戦は同業他社、あるいは商工団体や行政から注目され、2017年に「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定されている。 ベトナム法人の名称は、「DEWXVIETNAM」。大洋産業の名前は使っていない。「社名を変えてもいいから自分の会社を目指せ」と言われ、先代の社長と始めたコーポレート・アイデンティティに取り組んだことが小田柿氏の重要な起点なっているからに違いない。

コロナショックを乗り切る

小田柿氏は、ベトナムの安定した成長力を高く評価している。「いずれ国内売上高10億円、加えてベトナムで全売上の3割ほどを稼ぎ出したい。環境変化に強い会社になるためには、事業分野やビジネス拠点を分散する必要がある」と語る。
コロナ禍において、中小企業が海外に展開するためには、ジェトロや商工会議所との連携がより不可欠となっている。経営革新計画を始め、伴走型支援への期待は大きい。