はじめに

前回に引き続き今回も彦根の武将を対象とした領国経営のSDGs分析についてお話します。彦根を拠点としていた武将たちが、近江をめぐる六角氏、京極氏、浅井氏、そして、織田氏による覇権争いの中で生き抜かなければならない過酷な状況であったことは前回説明した通りです。今回の百々氏、田付氏、本庄氏は、いずれも一族としては存続することが出来ました。一族存続の背景には、特定の目標を達成するために必要な知識およびそれを活用する能力を意味する特殊スキルを有していたからなのです。つまり、身に付けた特殊スキルが権力者に評価され、取り立てられることで生き残ることが出来たのです。

SDGsとは?

SDGs(Sustainable Development Goals)とは「持続可能な開発目標」と訳されているもので、第70回国連総会(2015年9月25日に開催)で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ(戦略や行動計画という意味)」という文書の中で登場します。具体的には、以下の17の目標があります。

功績 特殊技能で生き残りを図る 

前回と同様に、今回も彦根の土豪(土着の豪族)、百々氏、田付氏、本庄氏による領地経営のSDGs分析です。彦根の土豪を取り巻く環境は、先に論じた土豪と同じように六角氏、京極氏、浅井氏、織田氏といった有力大名の覇権争いの渦中にありました。そのような過酷な状況下にあって、百々氏、田付氏、本庄氏は、いずれも生き残ることができました。ただし、前回の山崎氏と同じパターンで生き残りはしたが、父祖伝来の地は離れることになりました。領国を維持発展していくという意味ではSDGsを果たすことはできませんでしたので、いずれの武将も神にはなれなかったと言えるでしょう。ただし、一族として生き残ることができた要因について注目すべき点があります。そこで注目するのは、百々氏と田付氏が生き残ることができた要因です。なぜなら、百々氏と田付氏は、有力武将が配下に加えたいと思えるような特殊スキルがあったからです。

ここではまず、経営学において議論されるスキルについて説明します。社会心理学者のカッツによるとスキルとは、特定の目標を達成するために必要な知識およびそれを活用する能力のことを意味します。そして、スキルには以下の3つのタイプが存在します。

  • 技術的スキル
  • 対人的スキル
  • 概念的スキル

技術的スキルとは、特定の仕事や課題に直結した知識および特定の専門分野の知識に基づいて技術を使いこなす能力です。たとえば、料理人の技術的スキルとは、調理法に関する知識ならびに調理技術、食材の良し悪しを見極める目利き力であるとか、調理器具の使用技術などが挙げられるでしょう。

対人的スキルとは、よりよい人間関係を構築できる能力のことです。たとえば、企業組織における管理職の場合ならば、部下との信頼関係を築けるノウハウ、組織や職場の一体感を醸成する手腕などが挙げられるでしょう。

概念的スキルとは、組織が向かうべき方法を表すビジョンであるとか、そのビジョンを実現するための戦略や計画を構想、作成する能力を意味します。全体の方向性や行動指針を示すために必要なので、様々な知識を統合して大局的に物事を見れることが必要不可欠です。

百々氏の場合もこれまでの彦根の土豪と同様に六角氏、京極氏、浅井氏、織田氏の近江をめぐる覇権争いの渦中にありました。百々氏は、京極氏、浅井氏に仕え六角氏と対峙してきました。百々隠岐守盛実は、浅井氏に仕えていた時に六角承禎との戦で命を落としました。後を継いだ百々越前守綱家は、織田信長、豊臣秀吉に仕えたものの、関ケ原の合戦において西軍に与したため浪人となってしまいました。その後、土佐藩主の山内一豊に仕官することになり高知城の普請に貢献した。浪人という言うなれば失業状態に陥ったことは、百々氏の存続にとって危機的な状況でした。ところが、土佐藩山内家に仕官して武士として復帰する機会が得ることができたのは、百々越前守綱家の築城術という技術的スキルさらには石垣づくりのプロフェッショナル集団である穴太衆との人的ネットワークという対人的スキルを有していたからです。

田付氏は六角氏に仕えてきましたが、織田信長の攻撃を受けて居城の田付城は落城してしまい、近隣の武家屋敷や堂宇は灰燼に帰しました。滅亡してもおかしくない状況でした。しかしながら、田付氏の場合は田付流砲術という技術的スキルがありました。田付景澄は、当時の最先端技術の1つである砲術の技術的スキルを有していたことで有力者が手を差し伸べて、最終的に江戸幕府の砲術指南役となりました。その後、子孫が代々砲術指南役を勤めて一族は存続することが出来ました。この背景には、近江には国友や日野といった火縄銃の産地であり、鉄砲の技術蓄積が形成されていた土地であることが少なからず影響を及ぼしていると思われます。

百々氏や田付氏が築城術や砲術といった当時の最新技術に裏付けられた技術的スキルを有するに至るには、近江国の存在無しに語ることが出来ないでしょう。近江国は、当時の最新技術にまつわる経営資源(人材、物資、資金、情報)がもたらされ、技術的スキルを身に付ける土壌が整っていたのです。この講座で登場した近江国出身の藤堂高虎や蒲生氏郷も築城術や造園術といった技術的スキル、さらには穴太衆や近江商人といったプロフェッショナル集団との人的ネットワークといった対人的スキルを有していたので、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という権力者に取り立てられて大きく飛躍していきました。

このように彦根をはじめ近江の土豪の中には、技術的スキル、そして、そういったスキルを身に付けている人々とつながることができる対人的スキルを有している一族が存在していて、そのスキルが一族の持続的発展を支えることになったのです。


参考文献
および資料
  • 阿部 猛・西村圭子[編] (1990)『戦国人名辞典-コンパクト版-』新人物往来社
  • 彦根商工会議所(2016)『彦根の城と城館-『私の町の戦国』解説シート-』彦根商工会議所
  • Katz, R.L.(1955).“Skills of An Effective Administrator,” Harvard Business Review, 33(1), 33-42.
  • 宮島敬一(1996)『戦国期社会の形成と展開-浅井・六角氏と地域社会-』吉川弘文館
  • 太田浩司(2011)『浅井長政と姉川合戦-その繁栄と滅亡への軌跡-』サンライズ出版
  • 小野善生(2011)『まとめ役になれる!リーダーシップ入門講座』中央経済社
  • 小和田哲男(2005)『近江浅井氏の研究』清文社
  • 高柳光壽・松平年一(1973)『戦国人名辞典-増訂版-』吉川弘文館