彦根城の価値

彦根城の世界遺産登録に向けて作業を進めるなかで、彦根城のイメージが大きく変わってきました。以前は、国の文化財に指定された天守などの建物の価値や、西日本の諸大名ににらみをきかせる彦根城の軍事拠点としての価値が重視されていました。近年の調査研究で、彦根城が江戸時代の平和を維持する統治拠点としての役割を果たしていたこと、世界的に独特な日本の江戸時代の統治のしくみを現在の彦根城が伝えていることに価値があることが明らかになってきました。
江戸幕府の権威を背景に、彦根城で城主と重臣たちが合議しながら、領民の暮らしを安定させる政治が行われたことにより、彦根城下町や彦根藩領の村々で富の蓄積が進み、個性豊かな文化が育まれました。今でも、彦根市域をはじめ、湖東・湖北地方には、江戸時代に育まれた文化が伝統文化として継承され、この地域の個性の源となっています。

国宝 天守、重要文化財 天秤櫓・佐和口多門櫓

彦根藩領の広がり

彦根城によって平和が保たれていたのは彦根城下町だけではありません。彦根城が平和を維持していた彦根藩領の範囲は、『新修彦根市史』第二巻(通史編 近世)に掲載されている彦根藩領の地図によると、北は長浜市、東は米原市、南は日野町、西は近江八幡市にまで広がっていました。
世界遺産に登録したいと考えているのは、彦根城の中堀より内側に埋木舎を加えた範囲で、彦根藩領全体を世界遺産に登録するわけではありません。しかし、彦根城を活かしたまちづくりを進めていく際には、彦根城の世界遺産登録のコンセプトを踏まえて、彦根城によって平和が維持された彦根藩領全体も彦根城と関係の深い地域だととらえて、この地域で江戸時代に育まれ、今に伝わる伝統文化を、わたしたち地元住民が守り、活かしていくことが大切だと思います。湖東・湖北地方には、魅力ある個性豊かな伝統文化がたくさんあります。

彦根と長浜の結びつき

無形文化遺産 長浜の曳山(長浜観光協会提供)

彦根藩領のうち、私がとくに注目しているのが長浜です。長浜は、羽柴秀吉によって開かれたまちです。慶長20年(1615)に長浜城主をつとめていた内藤家が摂津国の高槻城に移ると、その後、長浜は彦根藩領になりました。しかし、彦根藩は、長浜の住民を彦根に移住させず、長浜のまちを残し、長浜の有力町衆にまちの運営を任せました。江戸時代の城下町は、通常、政治、軍事、経済、文化など、さまざまな役割を集約した拠点都市でしたが、彦根藩においては、彦根を政治・軍事拠点(武士のまち)、長浜を経済・文化拠点(町人のまち)とし、その両方を彦根藩の町奉行が管轄しました。
江戸時代の彦根と長浜が姉妹都市のような関係にあった歴史をこれからのまちづくりに活かすことができないでしょうか。ユネスコの世界遺産に登録された彦根城を訪れた観光客に、ユネスコの無形文化遺産に登録された長浜の曳山まつりも楽しんでもらう。そんな周遊観光が実現するのを私は願っています。