彦根城と彦根城下町

これまで2回にわたって彦根城を活かす方法について述べました。彦根城の文化財としての価値を踏まえた活用、彦根城が都市公園であることを踏まえての活用を提案してみました。
しかし、彦根城の活かし方はこれだけではありません。彦根城の築城とともに誕生し、その後、彦根城とともに歩んできた彦根城下町にも目を向ける必要があります。彦根城と彦根城下町が密接不可分の関係にあることをしっかり認識すべきです。

彦根城下町の伝統

今から約400年前に彦根城が誕生するまで、彦根山は、彦根寺をはじめとする山岳寺院のある信仰の山でした。彦根山のまわりには、彦根・里根・長曾根の集落とその集落の住民が耕作する田んぼが広がり、竹藪や淵も点在していました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの直後に、井伊直政が佐和山城主となり、その後、井伊家の居城が彦根山に移されました。彦根城の築城にあわせて、彦根城下町の造成も始まりました。江戸時代には、3万6、7千人もの武士や町人などが彦根城下町で暮らしました。彦根城下町の人口は、近畿地方では、京都や大坂には及びませんでしたが、和歌山に次ぐ規模でした。多くの住民が暮らす彦根城下町は、とても賑やかなまちでした。
彦根のまちには、今でも、江戸時代の面影を伝える侍屋敷や足軽組屋敷、町家が残っています。彦根で暮らしていると、彦根のようなまちは他にもあると思ってしまいますが、彦根城の世界遺産登録に向けてご指導をいただいた先生方から、「彦根は江戸時代の城下町の町なみがよく残っているところで、それが彦根の良さですよ」と言われることがあります。彦根城下町の伝統を踏まえたまちづくりが大切だと思います。

旧彦根藩足軽組屋敷辻番所

一期一会のおもてなし

彦根には、弓道やなぎなた、茶道など、江戸時代以来の文化が伝わっています。それらの伝統文化のなかで私がとくに注目しているのが茶道の精神です。
江戸時代を代表する茶人の一人である井伊直弼は、『茶湯一会集』で、「一期一会」の考えを深めました。この日の茶会は、二度と同じように開かれることのない一生に一度の茶会であると心得て、心をこめてふるまうべきだという考えです。そして、井伊直弼は、「一期一会」に続けて、茶会の亭主は、お客が帰った後、茶室で一人静かに茶会でのふるまいを振り返ることが必要だという「独座観念」の考えを説きました。
井伊直弼が説いた、心をこめたおもてなし、ふりかえりによってさらなる高みをめざす心持ちは、彦根で暮らす私たちが率先して継承すべきではないかと思います。一期一会のおもてなしとさらなる高みをめざす未来志向の考えは、彦根にいらっしゃるお客様に喜んでいただけるだけでなく、私たちの暮らしも豊かにするはずです。

井伊直弼朝臣銅像(金亀公園内)