明快なコンセプト
今年4月1日、「井伊直弼公の功績を尊び茶の湯・一期一会の文化を広める条例」が彦根市で施行された。大阪府堺市、島根県松江市に次ぎ、全国で3例目となる「茶の湯条例」である。本稿では、茶の湯条例の制定の意義と、商工業者がどういった取り組みをしていけばよいのかについて考えていく。
条例の前文には制定の背景、目的が書かれている。
(前略)彦根における茶の湯の歴史は深く、井伊家の歴代当主は茶の湯の道を修め、特に13代当主の井伊直弼公は、自身が埋木舎と名付けた屋敷で茶の湯を始め文武にわたる諸芸に打ち込み、後に幕府の大老に就任してからも自らの茶の湯の探求および実践に励んだ。その過程において、井伊直弼公は、千利休を始めとする先人たちが築き上げた侘びの茶の原点を見つめ直し、自ら著した 「茶湯一会集」において、茶の湯の心構えを「一期一会」の言葉に昇華し、世に示した。(中略)「幾度同じ人との出会いがあったとしても、その場は二度とないということに思いを致せば、全ての出会いは一生に一度限りの機会となる。だからこそ、誠心誠意人や事物に向き合う。」という一期一会の精神は、私たちが現代社会においても大切にしたい心の在り方であり、広く世界に共有しうる普遍的な考え方として後世に伝えていきたい。
また、茶の湯は、書画、工芸、料理、生花、菓子、建造物、庭園など日本のあらゆる文化とつながりを持つ文化であり、茶の湯との関わりを通して、彦根の新たな魅力を創造し、地域の活力を向上させるとともに、茶の湯・一期一会の文化の継承、定着および普及の促進を図り、もって市民の心豊かな生活の実現および歴史と伝統を生かした文化の香り高いまちの実現を目指し、 この条例を制定する。
ポイントは「一期一会の文化」、「茶の湯は、日本のあらゆる文化とつながりを持つ文化」である。今後の企業活動、商品開発、まちづくりに活かすことができる明快なコンセプトではないだろうか。
直弼公の茶の湯
「茶の湯」は、ただ抹茶を啜るだけではない。茶の湯の茶会を通じて、茶を啜る場を共有する主客が、日常の「け」を忘れて、純粋に互いの信頼関係を確かめ合うものといえばよいだろうか。
「侘び寂び」を主とした茶の湯が盛んになる以前から、公家や武家の間では、室町時代以来の伝統と格式を受け継ぐ書院の茶の湯が営まれていた。江戸時代には、書院の茶の湯は、大名家の式正(しきしょう)の茶として必須の教養であった。「唐物」道具は、書院の茶の湯の道具として用いられ、大名家には武家の格式にふさわしい「唐物」道具が集められ、井伊家にも、数々の「唐物」道具が今日に伝わっている。
直弼公と茶の湯との出会いがいつの頃、どのようなものであったのかは定かではない。天保5年、直中の死去を契機に直弼は、後に埋木舎と名付ける「尾末屋敷」に移り住むことになる。この屋敷に茶室はなく、ふとん部屋を改造して四畳半の茶室にしたという。茶室「澍露軒(じゅろけん)」である。
直弼公は埋木舎で『栂尾美地布三(とがのおみちふみ)』という茶書を執筆している。この茶書で「茶の湯はやさしいもので、茶を点てる作法も定まったものではなく、器なども有るものにまかせ、あながち珍しいものを好むものではない。精神修養として茶の湯を行えば武士にも有益である」と記し、あるがままにもてなす主客の交わりを重視し、流派にとらわれない茶の湯を考えていた。
『茶湯一会集』は直弼公が著した茶書である。茶事について、心構え、準備など全てのプロセスを具体的に述べたものだが、亭主の心得だけではなく、亭主・客人の双方の心の持ち様が表されていることが、最大の特徴だ。直弼公は近代的精神性を重視した茶の湯の先駆者であり、現在でも茶の湯のバイブルとして用いられている。
『茶湯一会集』の清書本が完成するのは桜田門外で暗殺される直前、安政4年(1857)8月頃といわれている。アメリカ総領事ハリスが江戸城で将軍と謁見した年である。翌年、直弼公は大老となる。幕末という激動の時代に、茶の湯の源流を正しながら「一期一会」「独座観念」「余情残心」の境地に達した茶人だったことはほとんど知られていない。
Treasure Hunting OHMI 直弼公の茶の湯(一)
私たちにできること 取り組みの紹介
彦根市では今後、茶の湯・一期一会の文化に親しむ機会を提供し、情報発信、産業や観光の振興、文化財の保存や活用、教育や学習の機会の提供など、関係者や市民の皆様と協力しながら、様々な形で事業を検討している。では、経済界としてできることは何だろうか。茶の湯条例制定以後、様々な取り組みが実施されているが、その中から今回は2つの事例を紹介する。
「直弼公茶の湯会」によるPRイベント
茶の湯を通じて新たな地域活性化策を作ることを目的に結成された「直弼公茶の湯会」は、直弼公とゆかりのある和菓子店(有限会社いと重菓舗)、料理店(株式会社伊勢幾)、湖東焼の再興に取り組む市民らが中心となった有志団体である。条例制定を記念し、最初のイベントとして、4月15・16日に「気軽に茶の湯体験&条例記念商品販売会」を実施した。
会場となったビバシティ彦根では、同会のメンバーが開発した「ほうじ茶入りくるみもち」や「なめらか抹茶豆腐」、「抹茶入り煎茶 直弼茶」、「茶湯一会ーる(ちゃのゆいちえーる)」等の条例制定を記念した8商品が販売された。
直弼公茶の湯会 藤田武史会長は、「全国で3例目の茶の湯条例ではありますが、コロナ禍以降にできたのは初となります。直弼公の一期一会の精神は特に、コロナ禍以降人間関係が希薄となったとされる現代においてこそ見直されるべき素晴らしい精神であり、市内外の人々に知っていただきたいと思います。また一瞬一瞬に最善を尽くして人に向き合うことは、普段の生活をする上でも、また事業を行う上でも、人々に物心の豊かさをもたらすものだと思います。今回は商品作りにおいて、それを利用したり食べたりする人々と一期一会の精神で事業者が最善を尽くして向き合うことで、地域経済の活性化にもつながることを願い、イベントを企画いたしました。彦根城の世界文化遺産登録への過程で彦根の文化的な側面をアピールすることにもつながることを願っております」と話している。
お茶に関わるマップの作成・発信
湖東・湖北地域を結ぶインバウンド事業を考える上でも「茶の湯条例」は重要なポイントである。広域の観光地域づくりを担うDMOである(一社)近江ツーリズムボードは「お茶(グリーンティー)」に関わるマップの作成と発信に向けて動き出している。
また、彦根城というランドマークを主軸とし、コト(事)を観光客に体験してもらうことをコンセプトに「お茶×体験」、「お茶×歴史探訪」などのツーリズム商品の開発を進めるため、民間で茶道の文化を上手く活用している先進地域として金沢へ視察を行った。
近江ツーリズムボード 上川悟史企画委員長は、「金沢では、条例こそ制定されてはいないが、市内最古の茶室見学や民間業者による自服(じふく)体験では自ら茶器を選定し楽しむことができるなど、視察で得ることは多かったように思います。また、茶室では外国人向けの解説の中で、一期一会の言葉も登場し、これは彦根でこそやらなければならないことだと感じました。今後としては、湖東・湖北地域の元来の高いポテンシャルを活かし、背伸びをしすぎず、上手く組み合わせながら、事業者の方と同じ目線でPRしていけたらと思っています。また、関連事業『殿様の日常体験』では、直弼公の行っていた当時の茶会を再現したツアーの実施も進めています」と話す。
己を高める
茶の湯だけでなく、井伊直弼公の文化的功績の顕彰と一期一会の文化の継承という点が、他にはない彦根独自の文化形成につながっている。条例を通じ、地元彦根の素晴らしい魅力をまず私たちが知り、誇りを持つことが彦根城世界遺産登録へのさらなる一歩となるだろう。
一期一会の心は、茶道の開祖・千利休の教えといわれている。直弼公は自分の流儀を追求するなかで、一期一会の心構えを完成させたのである。
「茶会に臨む時、その機会を一生に一度のものと心得て、全身全霊で誠意を尽くせ」。
もてなすという行為を通じて「己を高める」という、直弼公の目指す境地を忘れてはならない。