今も昔も変わらず、私たちの生活と共にある彦根城は、1992年に国内の世界遺産暫定リストに記載されて以降、登録が実現されないまま時が過ぎてきた。そこから地道に研究を重ね、ようやく彦根城の新しい魅力がユネスコの諮問機関(イコモス)による事前評価で認められた。昨年は登録に向けて、大きく動いた1年となり、本誌12月号(2024)では、内閣府で世界遺産行政に携わっておられた岸本県副知事より、「大きな一歩」であると前向きなコメントをいただいた。
今年はいよいよ、国内推薦を得て、世界遺産登録に向けて確実に軌道に乗っていきたいところである。しかし、彦根城の世界遺産登録において〝彦根城にどんな価値があるのか〟をまだよく知らない方も多い。本稿では、改めて私たちが応援している彦根城の価値を整理していく。

世界遺産登録の鍵「大名統治システム」

天守が国宝、お城の敷地は特別史跡、庭園は名勝である彦根城。しかし今回、イコモスへの提案の柱となったのは「大名統治システム」を示す城としての価値だ。江戸時代の日本、徳川の約250年間(1603年~1867年を指す)にわたる平和な時代は、世界的に見ても他にはない唯一無二の時代であり、平和が保たれた秘訣はその大名統治システムにあるとし、評価されている。
大名統治システムとは、城の中で大名と重臣が共に暮らし、共に政治を行う江戸時代特有の仕組みを指す。
群雄割拠の世であった戦国時代は一つの地域に大名以外に権力者(在地領主、地主、お寺等)が存在し、各々が城や館を持つことで、地権争いなどが日常的に発生する不安定な時代だった。
そんな世を見てきた徳川家康は、中央政府のほかに大名が各地の統治拠点となる城を預かり、地域を治めるように命じた。大名の重臣たちには自分の城を持たせず、大名の城に集めて暮らすように命じ、地域の権力が1か所に集まることで安定を目指したのである。また、常に大名の価値観や政治方針を共有し、信頼できる重臣が話し合い、大名(殿様)が決裁する〝合議制〟という政治を行うことで、反乱がない(できない)安定した世を作り出した。
そして、徳川家を支える大老など、政(まつりごと)の中核を担う存在として、彦根城主の井伊家は、徳川が理想とする統治のあり方を忠実に守っていた。その井伊家が預かった彦根城は180ある江戸時代の城の中でも、統治の仕組みが最も反映されているといえる。

「大名統治システム」の物証としての彦根城

江戸時代の統治の仕組みをよく示している彦根城は、重要文化財に指定された2万7800点の古文書や、当時の建造物が物証として現代まで数多く現存する稀有な城でもある。現在、数ある他の城の殆どが、統治の中心地として県庁所在地となり、都市開発によって中堀より内側が埋め立てられてしまったからだ。
つまり、彦根城は、平和な時代を築いた政治の仕組み「大名統治システム」を世界の中で最も良く示す物証の城。その範囲は江戸時代に大名と重臣たちが集まって暮らし、合議政治が行われた範囲である。そして、この範囲は国の特別史跡としても保護されており、その周辺には素晴らしい景観や城の眺望が守られ、その保存状態の良さも含めてイコモスから評価されている。

玄宮園

大名庭園が城内にあり、今も現存しているのは彦根城だけ。(全国各地に素晴らしいお庭は存在するが、どれもお城の中ではなく堀の外側にある。※城内に庭園があることは、地理的な要因や時期にもよる)大名と重臣が一緒に武術や文化的な活動(茶事・流鏑馬・蹴鞠など)を楽しみ、現代で言う「組織論」のように理念や価値観を共有することで同じ方向を向き、組織の結束力を高める場として活用されていた痕跡が残っている。

表御殿

(かつての役所 ※現在の彦根城博物館)
城主が普段暮らすための場所に加え、大名が重臣たちと共に政治について話し合っていた場所もあった。現在では特別史跡として、表御殿の遺構に土をかぶせて保護し、建物(博物館)の基礎が及ばない形で保存されている。

あちこちに残る重臣屋敷

重臣たちは、中堀の内側に表御殿(政治をする場所)を取り囲むように住まわされていた。表御殿との位置関係から重臣が政治の中心にいたことが分かる。当時30軒ほどあった重臣屋敷は遺構として良く残っていることが分かっており、建物も3件が現存している。

旧西郷屋敷長屋門(旧裁判所横)

旧脇家屋敷(彦根東高校横)

旧木俣屋敷(開国記念館横)

姫路城のシリアル・ノミネーションではない

世界遺産登録について、よくいただく率直な意見を、市の小林世界遺産登録推進室長に尋ねてみた。
メディアでは様々報道されているが、文化庁が公表した事前評価の結果「シリアル・ノミネーション・サイト」についても検討すべき、とは先に登録された「姫路城」のシリアルノミネーションになることなのか?
室長は、「違います」とハッキリ明言された上で次のように述べられた。
「姫路城は城の建物が傑作だと評価されて世界遺産となりました。一方彦根城は、特別史跡に指定された敷地(遺跡)が江戸時代の大名統治システムを最も良く示していると評価されました。評価の対象も、評価の内容も姫路城とは異なります。また、江戸時代の城は、どれも大名による統治拠点として機能し、大名の統治がやりやすいかたちに整えられていました。同じような資産をまとめて世界遺産に登録することができなくなっていることから、江戸時代の城のシリアルノミネーションは望ましくないと考えていますので、我々は単独の推薦で推薦書を提出予定です」。

今後について

彦根城の世界遺産登録は、登録がゴールではなく、彦根城を守り活かしながら地元住民が幸せに暮らせる持続可能なまちづくりをすることが目的だ。登録となれば、地域の人口減少や、まちの活性化など課題の解決の糸口となり得る。
世界遺産登録の進捗状況としては今、登録後のまちづくりを考える段階にまできている。登録後、たくさんの観光客が彦根に訪れることとなる。今後の課題は、オーバーツーリズム等の問題解消に向けて動いていくほか、来訪者に再来したいと思っていただけるような「おもてなし力」の向上だ。大それたことでなく、旅先で心地の良い挨拶があるだけでも印象は大きく違う。事業所においての従業員教育や機運醸成のための事業の実施も必要なことではあるものの、何よりも必要なのは、これらのまちの取り組みを皆が知り、誇りに思う気持ちが肝要だ。彦根でよくいわれる「奥ゆかしさ」も美徳ではあるが、地元を誇りに思い、良いところを存分にアピールしていくだけでも大きく変わっていくだろう。


参考