NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は渋沢栄一。日本の商工会議所の祖であり、2024年の新1万円札の肖像となる日本の資本主義の父である。
2020年1月、彦根商工会議所では「日本資本主義の父」 渋沢栄一の研究者 鹿島 茂氏(明治大学国際日本学部教授)を招聘し、『渋沢栄一と近代日本の資本主義』をテーマにご講演いただき、渋沢栄一の生涯からそのマインドを学んだ。
今回は、鹿島氏の講演を振り返りながら、渋沢マインドの源泉を理解し、渋沢栄一が目指した経済循環の核心を探る。渋沢のマインドは、SDGs経営 / ESG投資の原点を教えてくれるだろう。

鹿島 茂氏 プロフィール

フランス文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。
1949年横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。現在は明治大学国際日本学部教授。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。『渋沢栄一』(文藝春秋)、『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)など著書多数。2017年書評サイト「ALL REVIEWS」を開設、主宰。著書『渋沢栄一』(文藝春秋)は、500の企業と600の社会福祉法人を輩出し、近代日本の「資本主義」をつくりだした渋沢栄一の波乱万丈の人生を描いた渾身の評伝となっている。

プロローグ

フランス文学研究者の私は、ある研究会で渋沢栄一の話を聞いた時、渋沢の経済改革はフランスで興ったサン・シモン主義の循環の理論と非常に酷似していると感じた。その研究者に「渋沢がフランスで学んできたことと、サン・シモン主義との関係をどう思います?」と聞いたところ、彼はサン・シモン主義のことを全く知らなかった。日本では経済学といえば英独系のマルクスとアダム・スミスだった。私はその時、これは自分にしかできないかもしれないと思い、渋沢について調べ始めた。
第2回パリ万国博覧会に徳川の随行の一員として参加した渋沢は、その後1年半、フランスの社会をしっかりと勉強している。フランスの第2帝政、サン・シモン主義の全盛期であり、この循環の理論が渋沢を通じて日本に入ってきたという仮説が浮かんだ。これを証明することが、私が渋沢の評伝を書いたひとつの動機だ。
もうひとつの動機が、1992年、外務省でロシア経済の展望について講演した内容である。1991年にソ連の社会主義が崩壊し、ロシア連邦として資本主義に転換するところだった。しかしロシアでは元共産党員が富をすべて奪い、ブラックマーケット経済が発展、モノと金を持つ人間が物価を釣り上げて民衆を苦しめ、資本主義への移行がうまくいかなかった。
日本も明治維新当時、ロシアと同じ状況に置かれていた。ロシアの状況は、金銭を独占する徳川幕府が突然資本主義に乗りだしたようなものである。ただ、日本には渋沢栄一がいた。彼がいたからロシアのようなブラックマーケット経済にはならなかった。ここが重要なポイントだ。なぜなら渋沢は金銭的なモラルを持ち、方法論としてサン・シモン主義を学んでいたからだ。この仮説も証明しなければならなくなった。渋沢栄一はどうやってこの倫理観を身につけるに至ったのかということだ。

公益財団法人 渋沢栄一記念財団 渋沢史料館提供

渋沢フランス渡航

大喜びで船に乗り込んだ渋沢の交際日録というものが残されている。例えば、スエズ運河を通過した時、天と地がひっくり返るほどびっくりしたと日誌に書いてる。当時、レセプスというサン・シモン主義の実業家がエジプトのパシャでスエズ運河の開削に乗り出していた。渋沢は、スエズ運河の大工事をフランスのレセプス会社というプライベート企業が手がけていることにまず驚き、資金は株式会社という仕組みで民間から集めているのだと知り、更に驚く。殿様の意志とは関係のないところで、このような事業ができるということに非常に感銘を受け、株式会社というものをしっかり勉強しようと決意する。
フランスに到着すると、ナポレオン3世は最大限の歓待で渋沢らを迎え、銀行家フリュリ・エラールと軍人ヴィレット中佐が案内係となった。渋沢はエラールからフランスの社会がどうなっているのかを学んだ。株式の買い方、増やし方を手取り足取り教えたのもエラールである。渋沢は鉄道債、社債、国債、さまざまな債権の運用、そこから株式会社、銀行業務を学び、万国博覧会ではモノの競争を学んだのである。
そして、もうひとつ、渋沢の倫理に大きな影響を与えるできごとがある。それはエラールとヴィレット中佐が全く対等に議論していたことだ。日本では武士が圧倒的に偉く、商人は蔑まれている。2人が平等に議論することは渋沢にとって衝撃だった。これこそが、理想の「平等社会」だと確信し、この光景を日本でも実現するために、商人の力と新しい倫理観を育てる必要があると考えるようになった。


次回は、なぜ日本に資本主義が根付いたのか、渋沢の行ったサン・シモン主義的活動に触れる。