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鹿島 茂氏 プロフィール

フランス文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。
1949年横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。現在は明治大学国際日本学部教授。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。『渋沢栄一』(文藝春秋)、『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)など著書多数。2017年書評サイト「ALL REVIEWS」を開設、主宰。著書『渋沢栄一』(文藝春秋)は、500の企業と600の社会福祉法人を輩出し、近代日本の「資本主義」をつくりだした渋沢栄一の波乱万丈の人生を描いた渾身の評伝となっている。

サン・シモン主義

パリ万国博覧会開催はナポレオン3世の強力な支持で進められたが、万博を主導した経済学者フレデリック・ル・プレーとシュヴァリエは、イギリスに比べて100年遅れているフランスの資本主義を発展させるためにはどうすればいいか、フランス産業の国際的競争力の向上や自由貿易の促進を考えていた。2人はサン・シモン主義の主導者である。
サン・シモン主義は、「モノ・人・アイデア」が1ヵ所に留まっている限りは富を生まない。「モノ・人・アイデア」が循環することで始めて富が生み出されると定義した理論である。2人はフランスでその循環をどのように起こしたらいいかを考えた。
まずはお金。お金を循環させるためには銀行が必要だ。既存のロスチャイルド銀行は資産家から預かった金を投資などで増やし、出資者に還元するという現在の投資バンクやヘッジファンドだった。それでは金は隅々まで循環しない。サン・シモン主義者のアイデアは、銀行で預かった金を有望な企業、エンタープライズに投資することだった。つまりベンチャーキャピタルを作らなければお金は平等に循環しない。「新しい銀行では、タンスの中に眠っているような小さなお金でもベンチャーに投資できます」。このアイデアでサン・シモン主義者のぺレール兄弟がクレディ・モビリエ銀行を設立する。これで間接金融の銀行はできたが、直接金融、即ち、株式会社が必要になる。株式会社は、金があってアイデアのない資産家と、金はないがアイデアを持っている人をマッチングする仕組みだ。株式会社は、株式によって会社を売買することができる。
この仕組みを上手く利用したのが、新聞を作ったエミール・ド・ジラルダンだ。彼は金は持っていなかったが、アイデアはあった。まず面白い記事を全部集めたまとめサイトのような新聞「ヴォルール(泥棒)」を作り、「広告料」を発行費の大半に充て、購読料を大幅に下げることで読者を増やす仕組みを作った。これが大当たりした。彼はこの会社を適当なタイミングで売ってしまうのである。現在のシリコンバレーのように、スタートアップし、会社を売り、それを資本金としてより大きな事業をする。ジラルダンはこの循環で次々と大きな新聞を作り、最後に発行費用を広告料ですべて賄うというアイデアを実現する。「安く」て「質が良く」て「大量に」という3つの要素を満たせば大衆に届くという循環が生まれる。
お金の次はモノ。サン・シモン主義者たちは、モノを循環させるために鉄道を作り始める。膨大な資金調達に株式会社の仕組みが役立つ。ナポレオン3世が第2帝政を始めた頃(1852)、鉄道は数百キロだったが、第2帝政が終わる頃(1870)には何万キロに及んでいた。
イギリスが100年かかったことをフランスは18年で成し遂げたが、絶対的に不足しているものがあった。競争という概念である。フランスは自由と平等、特に平等ということをとても重要視する国だ。平等という倫理観が強いと競争という概念が弱くなる。経済発展のためには競争を起こす必要があり、そのために生み出されたのが万国博覧会だった。万国博覧会で「安く」て「質が良く」て「大量に」という3つの概念のアイデアを実現するためにモノとモノを競わせ、優れた者に金・銀・銅のメダルを与える仕組みを作ったのだ。仕掛人は前述のフレデリック・ル・プレーとミシェル・シュヴァリエである。
余談だが、フレデリック・ル・プレーの弟子 ピエール・ド・クーベルタンは万博の「モノ」が「人」になれば面白いと考えた。オリンピックの誕生である。
資本主義の土壌がなく、革命により自由平等主義が広がり、イギリス系の競争原理が馴染まなかったフランスで、サン・シモン主義の循環の理論は資本主義をスタートアップさせてしまった。1867年幕末真っただ中、渋沢が訪れるフランスはこのような状況にあったのだ。

公益財団法人 渋沢栄一記念財団 渋沢史料館提供

日本の近代資本主義の最大の謎は、なぜ日本に資本主義が根付いたかというところにある。さまざまな説があるが、日本の近代資本主義は、渋沢の行ったサン・シモン主義的活動に始まると言い切ってもいいと考えている。
渋沢の業績を見渡してみると、サン・シモン主義そっくりなことがわかるだろう。例えば、渋沢が最初企てた株式会社は、銀行・鉄道・海運・保険・製紙である。これらはサン・シモン主義の基本理念「流通・循環」を準備するインフラといえる。
渋沢は資本主義の地盤のない日本で、資本主義を生み出すサン・シモン主義という仕組みを、そうとは知らずに実践したのだ。勝ったものがすべてを手に入れるという英米式の資本主義にならなかったのも、渋沢自身は自分は論語に基づいてやっているんだと言っている。私は隠れた因子としてサン・シモン主義というものが働いたのではないかと考えている。
渋沢がフランスで学んだことは、日本にとって幸運だったのではないだろうか。

「サン・シモン主義」から「論語と算盤」・渋沢×SDGs

渋沢は、フランスの自由平等主義の中で醸成された経営倫理を「論語」に落とし込み、経済循環に必要な多くのブレイクスルーやノウハウをサン・シモン主義から学び、「算盤」と説いた。サン・シモン主義の中で経済循環に必要なものはアイデア・ヒト・モノの循環である。最も難易度の高そうなアイデアの源泉は、有用性・実現可能性・持続可能性を兼ね備えたデザイン思考による「現状よりいいものを作る」という精神である。そのベストバランスによって持続可能な経済発展がもたらされ、渋沢が手掛けた約500の企業を始めとした日本企業のDNAを司っている。
SDGs(持続可能な開発目標)は日本を含めた先進国と開発途上国(国連加盟の193ヶ国)が共に取り組むべき国際社会全体の普遍的な目標である。SDGsを達成するためには、経済界や民間財団が「民」の力を結集して、次々とヴィジョンやアイデアを提案し、政府を後押ししながら、自らが新しい日本を築くという強い責任感を持って行動することが不可欠である。SDGs17の目標の中身は社会倫理と経済循環である。そして、いかに資金を調達し循環させるのかが要となる。経済循環に一躍買っているのはサン・シモン主義で開発されたベンチャーキャピタルを彷彿とさせるESG投資だ。「答えは歴史の中にある」。SDGsを解くカギも歴史の中にある。