彦根藩の筆頭家老だった木俣家の屋敷跡の整備作業が今月14日から始まり、彦根城のスタッフや市文化財課職員らが枯れ木などを除去した。
木俣家は徳川家から井伊家に移り、大坂の陣後に彦根藩の筆頭家老になった重臣。彦根市によると、元禄年(1695年)には452人の家人がいて、知行は江戸時代初期の4000石から、享保7年(1722年)に大名クラスの1万石まで加増された。
屋敷は当初の彦根城の山崎郭から、元和元年(1615年)以降の第二期の築城工事時に現在の地に移ったと考えられている。敷地内には天明5年(1785年)の棟札が残る約80平方㍍の主屋が現存し、そこには3室の座敷がある。奥には持仏堂と呼ばれる建物があり、敷地の大部分を占める約4100平方メートルの庭園には杉や竹などの樹木が生い茂っている。

彦根城運営管理センターは城内のスタッフや文化財課の職員たちに呼びかけて、約20人で「管理応援団」を結成。彦根城の世界遺産登録を目指す中で、木俣家屋敷跡をはじめとした重臣屋敷も対象遺構に入っているため、その整備を企画した。
活動は今年度中に数回を予定。初日の14日には彦根城博物館講堂で十八代当主の井伊直岳さんから木俣家や屋敷の歴史について学んだ後、木俣家屋敷跡に移動し、庭園や建物周辺の枯れた樹木の除去や草刈りをした。9月にも2回目の作業を行う予定。来年度以降、市が建物と庭園の調査を行い、整備計画や実施設計を経て、本格的な整備と庭園の一般公開を進める計画も検討されている。
彦根城運営管理センターでは「世界遺産登録に向けて、市民レベルで応援するきっかけ作りとして整備を進めていきたい」としており、管理応援団の団員も随時、募っている。問い合わせは彦根城運営管理センター(☎ 0749-22-2742)。