愛宕山仙琳寺

佐和山の麓、お椀を伏せたようなこんもりした山に仙琳寺(古沢町946)がある。表参道は現在、JRをまたぐ陸橋を渡らなくてはならない。踏切だった頃までは多くの人が訪れたという。彦根藩4代藩主井伊直興(1656〜1717)の庶子本空(幼名千代之介)を開基とする天台宗の古刹である。『仙琳寺由緒書』には、『愛岩(宕)山ナルハ前ハ城下ニ接シ後ヘハ佐和山ニ隣ル此ノ山ハ』、『愛岩(宕)権現ノ小社アリケリ其ノ傍ラニ古キ庵リノアリケル』と記されている。嘉永5年(1852)から安政5年(1858)までの江戸・彦根あわせて七十八会を収録した茶会記『懐石附』(かいせきづけ)には、「仙琳寺亭」「仙琳寺」「仙琳寺亭四畳半席」などの記載があり、仙琳寺を亭主、井伊直弼を客として茶会がたびたび行われていたことがわかる。井伊家と関わりの深い寺なのである。

現本堂には直弼を招いての茶会が開かれたと推測される茶室と庭園跡が確認でき、聖天堂、愛宕社、行者堂、観音堂、恵明権現堂、老朽化しているが漆喰の見事な楼門がある。寺からは彦根城と城下が一望でき、眼下には琵琶湖と内湖が広がる景勝地で、参詣した者にとっても、ここからの景色は印象に残るものであったに違いない。
ときおり仙琳寺を訪れる女性の姿をみかけることがある。歴女たちが佐和山を訪れ、コアな石田三成ファンが「石田地蔵」を目指してやってくるのだ。石田地蔵は関ヶ原の合戦後、三成の徳を慕う領民が命を賭けて密かに佐和山に入り、山中に祀ったといわれる地蔵である。仙琳寺の楼門左に地蔵堂があり、その背後の斜面に石田地蔵が集められている。

石田三成の茶の井

「仙琳寺には、三成の時代に茶室が設けられていて、今も裏の竹藪の中に三成が水を汲んだと伝わる井戸が三つ、枯れずにあるという」(『三成伝説 現代に残る石田三成の足跡』オンライン三成会編・サンライズ出版)。
井戸は存在するのか……。ご住職の内田一明さん(故人)の話を聞いたことがある。
「仙琳寺は彦根藩から300石を与えられていました。茶に関する古文書には仙琳寺の名前が繰り返し出てきます。本堂の奥には、今も茶室や上座の名残がありますし、かつては庭から佐和山を望むことができました。今では随分景色も変わり、お寺のことをご存知ない方がほとんどです。井戸は竹薮のなかにあります。史料に石田三成の茶の井だったという記述はありません」。
本堂の東側(佐和山側)に竹藪がある。10年前は倒れた竹が折り重なる鬱蒼とした竹林だった。「石田三成の茶の井(伝)」を甦らせようと、国宝・彦根城築城400年祭の前年にできた「ひこねキャンドルナイト実行委員会」が「仙琳寺プロジェクト」(事務局:夢京橋あかり館)を企画し、2010年から竹藪整備を始めた。今では見違えるほど美しくなっている。プロジェクトの目的は、竹藪を整備し、新たな地域資源の一つとして活用できる状態にすることである。石垣が2ヶ所あり井戸がある。内田住職が覚えておられた「かつてはちゃんとあった」道も急斜面に現れた。
「愛岩(宕)権現ノ小社アリケリ其ノ傍ラニ古キ庵リノアリケル」、江戸時代にも仙琳寺では幾度となく茶会が行われていることから、茶に適した水だったのだろう……。三成もまたこの水を汲んだに違いないのだ。

2010年にプロジェクトがスタートした頃の様子

現在の竹林

滋賀県と彦根市は2024年、彦根城の世界遺産登録を目指している。現在構想中の彦根城の世界的価値は、「江戸時代の日本の政治システムは世界的にユニークで、彦根城はその政治システムをあらわす証拠である」となっている。江戸時代へ繫がる忘れ去られた歴史がある。
根拠のない伝承はない。未評価の文化資源を紡ぐことは新たな宝物を発掘することだ。そしてそれらは、世界遺産となった彦根城の輝きを際立たせることだろう。


参考
「仙琳寺の歴史と美術」展示図録(彦根城博物館)