文化庁の新たな動き

彦根城の世界遺産登録に勝負の年がやって来ました。通常であれば今年の7月に、文化庁の文化審議会において、国内推薦を希望している彦根城と飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群のどちらかが日本の世界遺産推薦候補に選ばれます。国内推薦を勝ち取るためには、文化庁がどのような資産を国内推薦候補に選ぼうとしているのかを知っておくことが必要です。
前号で、世界遺産の制度には、

  1. 顕著な普遍的価値の証明
  2. 保存管理体制の整備
  3. 世界遺産を活かした持続可能なまちづくり

という3つの柱があることを説明しました。令和二年度の末に文化審議会が答申したわが国の世界遺産登録の意義も、この3点を柱としています。とくに、〝3. 世界遺産を活かした持続可能なまちづくり〞が初めて明文化されたことは、これからの世界遣産登録に大きな意味を持ちます。彦根城を活かしたこれからのまちづくりのあり方が必ず問われるはずです。

石見銀山に学ぶ

世界遺産を活かしたまちづくりをどのように進めたらいいのか。島根県大田市大森町での取り組みが参考になります。
大森は、2007年に世界遺産に登録された石見銀山の鉱山町です。かつては銀の産出地として、その名が世界に知られていましたが、1923年の閉山を機にまちは衰退しました。ところが、石見銀山が世界遺産に登録されると、大森に多くの観光客が押し寄せ、観光客を乗せたバスの排ガスや騒音が地元住民の生活を脅かすオーバーツーリズムが問題となりました。石見銀山の世界遺産フィーバーは数年で落ち着き、その後、観光客数が減少したこともあって、石見銀山の世界遺産登録が否定的に評価されることがあります。

古民家を再生した中村ブレイスの社宅(中村ブレイス株式会社提供)

しかし、大森のまちは輝きを増しています。約200世帯、人口400人ほどの大森に、2012年から2021年までの間に32世帯が転入し、43人の子どもが生まれました。一時は存続が危ぶまれた大森の保育園は、子どもの増加により、今では待機児童の心配をするまでに至っているといいます。
大森の定住人口の増加に大きな役割を果たしているのが、地元企業の中村ブレイス株式会社です。創業者の中村俊郎さんが、大森を再び世界に誇れるまちにしたいという思いから、行政や金融機関の補助を一切受けず、自己資金で古民家を買い取り、建物のデザインを保ちながら、暮らしやすい施設に再生していきました。2019年までに、約60棟の建物が再生されました。再生された建物は、中村ブレイスの社宅として使われているほか、地元住民の暮しに必要なレストランや喫茶店、ドイツパンのお店などに生まれ変わり、さらに、大森のまちの文化力を高める迎賓館兼資料館、ゲストハウス、オペラハウスなどに改築されました。

オペラハウスの内部(中村ブレイス株式会社提供)

私は、一昨年、昨年の2年にわたって、滋賀県立大学で開講された彦根商工会議所寄付講座で、大森の取り組みを学びました。新型コロナウイルスの感染拡大で閉店した飲食店があるなかで、くじけることなく、新たな店舗の開業を実現するなど、大森のまちづくりが続いています。大森を再び世界に誇れるまちにしたいという思いから、世界遺産を活かしたまちづくりを継続しているその姿勢は、彦根城の世界遺産登録をめざしている私たち彦根市民が学ぶべき見本だと思います。