彦根城の二面性

彦根城は、現在、特別史跡に指定されているとともに、金亀公園という都市公園として管理されています。彦根城に文化財としての側面に加えて、都市公園としての側面があることに、どれだけの方が気付いておられるでしょうか。
彦根城に史跡と公園の二面性を認める考えは、すでに明治時代からありました。明治27年(1894)に彦根城が国から井伊家に下賜され、その翌年に彦根城で彦根物産・古器物展覧会が開催されました。この展覧会の開催にあわせて発行されたパンフレットでは、彦根城が武家の盛んだった時代、とりわけ、井伊直政・直孝の武勲、井伊直弼の開国の偉業を伝える史跡であると同時に、湖国の絶景を眺めて、心を爽にし、意を楽しませる公園でもあると説明されています。彦根城の二面性は、昭和11年(1936)に発行された『彦根町勢要覧 附観光案内』でも指摘されていますので、第二次世界大戦以前の彦根の人たちは、彦根城を史跡として見るとともに、公園としても活用したいと考えていたようです。

空から見た特別史跡彦根城跡

彦根城の公園としての魅力

彦根城の公園としての活用は、すでに明治時代の初めから考えられていました。『日出新聞』の明治23年(1890)1月11日付け記事によれば、明治時代の初め、彦根城が陸軍省の管轄下に置かれた時から、地元の有志が、陸軍省から彦根城の払い下げをうけ、公園として活用し、お城を美しく保つ計画を立てていたといいます。
明治23年(1890)に滋賀県が犬上郡に彦根城の取り扱いについての意見を求めた時、地元の有力者から、彦根城は、眺望が良く、樹木が繁茂する、他に類のない優れた景勝地なので、整備を加え、さらに美観を高めるべきであるという提案がありました。

彦根城の多様な活用

金亀公園は、彦根城を含む面積37.9ヘクタールの都市公園で、住民の休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動など、さまざまな目的で利用される総合公園として位置づけられています。平成元年度(1989年度)に「日本の都市公園100選」、平成18年度(2006年度)に「日本の歴史公園100選」にそれぞれ選ばれました。
日本国内のお城については、(特別)史跡に指定されているとともに、都市公園として管理されているところが少なくありません。そのうちの一つ、和歌山城について、ある女性が次のように語っています。「高校から天守閣まで(陸上部の)練習でよく往復したんです。初めてデートで来たのも和歌山城だったかな。これからも変わらず色んな人が集う場所であってほしい」(『朝日新聞』平成31年1月11日付)。お城にはさまざまな思いが込められています。歴史があり、緑豊かな彦根城についても、いろいろな思いを持った人たちに集っていただきたいと思います。

和歌山城(御橋廊下と天守)