西国三十三所第31番札所の「長命寺」(近江八幡市長命寺町157)は、琵琶湖畔にそびえる長命寺山(標高333m)の山腹にある古刹で、中世以降、山内に多くの寺房を構えた「一山寺院」である。麓から本堂まで808段の長い石段を登ると、諸堂の屋根のラインが美しく重なりあう長命寺のよく知られた光景や琵琶湖と山々の雄大な景色を見ることができる。

麓から本堂まで続く808段の石段

開闢と開基

長命寺の草創に関しては確かな資料はない。寺伝によると、第12代景行天皇の時代、武内宿禰(たけのうちすくね)がこの山に登り、柳の古木に「寿命長遠 諸願成就」の文字を彫り祈願した。これが長命寺開闢(かいびゃく)となる。
その後、推古天皇の619年、聖徳太子が諸国巡歴の途上、この山に立ち寄り、宿禰が彫った「寿命長遠 諸願成就」の文字をみつけ、観世音菩薩を感得(深遠な真理などを悟り知ること)した。そのとき、白髪の老人が現れ、この柳の霊木で観音像を彫ることを勧めたので「千手、十一面、聖観音」の三尊一体の聖像を刻み、伽藍を建立、宿禰の長寿にあやかり「長命寺」と名付けたと伝えられている。これが聖徳太子開基の謂れである。長命寺の本尊は、「千手観音、十一面観音、聖観音」の3体が本尊(三尊一体)で、いずれも重要文化財で秘仏となっている。

巡礼(長命寺と彦根城)

観音霊場信仰の最も早い史料は、『寺門高僧伝』の行尊伝に見える「観音霊場三十三所巡礼」である。行尊は十二世紀前半に在世した園城寺の高僧で、長谷寺より始めて三室戸千手堂までの三十三所を150日の日数をかけて巡拝している。次にあらわれてくるのは『寺門高僧伝』の覚忠伝所収「三十三所巡礼記」である。覚忠は九条兼実や天台座主慈鎮らの弟で承元年間(1207〜1211)に寂している。覚忠の巡礼は那智を一番として三室戸で終り、その間75日の日数をかけている。長命寺は行尊の巡礼では20番となり、覚忠の場合には安土の観音正寺が20番となって、次の21番が長命寺である。しかし鎌倉時代末期までは必ずしも現行のように一定の観音霊場ではなかった。
長命寺山の別名は「金亀山」という。2025年に世界遺産登録を目指す彦根城は彦根山にある。この山も「金亀山」と呼ばれ、城の別名は金亀城という。彦根城が築城される以前の彦根山は、古くから観音の霊験所として都にまで知られた彦根寺があった。平安時代には白河上皇など都人が数多く参詣し、今日まで残る「巡礼街道」はそうした人々の往来により整備された「信仰の道」であった。
西国三十三所第31番札所長命寺、第32番は観音正寺(近江八幡市安土町石寺)、第33番は華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)である。華厳寺を目指す巡礼の途中、彦根山に立ち寄ったのだろう。巡礼の腰掛石が今も遺っている。西国三十三所観音巡礼において「二つの金亀山」は何らかの関係があったのかもしれない。
ちなみに、「琵琶湖周航の歌」の5番は古城(彦根城)、6番は長命寺である。

三重塔

長命寺の重要文化財

  • 重要文化財建造物
    本堂(室町)、三重塔(桃山)、鐘楼(桃山)、護摩堂(桃山)、三仏堂・護法権現社拝殿(室町から桃山)
  • 重要文化財絵画
    絹本著色紅玻璃阿弥陀像(南北朝)、絹本著色勢至菩薩像(南宋)、絹本著色釈迦三尊像(室町)、絹本著色涅槃像(南北朝)
  • 重要文化財彫刻
    木造千手観音立像(平安)、木造地蔵菩薩立像(鎌倉)、木造毘沙門天立像(平安)、木造聖観音立像(鎌倉)、木造十一面観音立像(平安)
  • 重要文化財工芸品
    金銅透彫華鬘 附 金銅透彫華鬘(鎌倉)
  • 重要文化財書跡
    長命寺文書 附 長命寺参詣曼荼羅・観心十界曼荼羅(平安から近代)

三仏堂

2025年、滋賀県は彦根城の世界遺産登録を目指している。12月17日、近江八幡市で「近江ヒストリア講座 長命寺編」が行われた。講師の白洲信哉氏はそのなかで「近江は1400年以上の昔からの重層的な歴史がある。その歴史は琵琶湖や湖を囲む山々、自然にとともにあったもので、彦根城はそういう時の流れのなかにあることを忘れてはならない」と講演を締め括られた。
次回は、長命寺の歴史と伝承に触れる。


参考
  • 『近江八幡の歴史 第六巻 通史Ⅰ』 (近江八幡市史編集委員会)
  • 『古寺巡礼 近江 長命寺』(淡交社)