現代社会において心の病が増加し、社会問題となっている。特に若い世代においては、精神疾患が発生しやすい傾向にあり、企業では実際に、新入社員がすぐに会社を辞めてしまう、うつによる休職などといった話題が絶えない。
企業にとってうつ病などのメンタルヘルスの問題は緊急の課題となっている。コミュニケーションの取り方や生活習慣の指導など、心の病への対応を模索する企業は多い。従来の社会の価値観に適応させようという試みは、適応できない苦しみを更に大きくしているのかもしれない。
私たちは今、苦痛に対する耐性が低くなっているのだろうか……、現代社会は、人間の心理と向き合っていかなければならない。

心理的安全性

人間の心理がもたらす組織への影響は、はかりしれない。当所でも昨年7月に職場における「心理的安全性」の高い職場づくりをテーマにセミナーを実施した。心理的安全性とは、自分の意見や気持ちを安心して表現できる状態をいう。そして、心理的安全性の高い職場とは、不安やストレスのない、良好な人間関係の職場であり、生産性が高く、離職を防止でき、ヒューマンエラーによる事故も防げる。まさに理想の職場の姿である。
心理的安全性を高めるためのポイントは3つある。

  1. 感謝をする ⇔ 不平不満を防ぐ
  2. 笑顔を大切に ⇔ 不機嫌にならない
  3. 承認(声かけ) ⇔ あら探しをしない

人間の特性として、人は欠けているところに目が行くため、勝手に仲間のあら探しをしてしまう(逆に勝手にコンプレックスを持ってしまう)。組織のリーダーは多様性を活かし、個人の得意なことや、できていることに目を向けることで、最大限のパフォーマンスを発揮できるチームを作ることができる。一方で、いくら一人ひとりが素晴らしい人材であっても、組織として機能していなければ、パフォーマンスの創造性は望めない。
「心理的安全性(psychological safety)」とは、ハーバードビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授が提唱した心理学用語だ。そして、世界中の企業が心理的安全性に注目するきっかけとなったのは、Google社が2012~2015年までの4年間に行った生産性向上のためのプロジェクト「プロジェクト・アリストテレス」だった。心理的安全性を高めると、チームのパフォーマンスと創造性が向上することを突き止めたのだ。
心理的安全性は「居心地が良い状態(ぬるま湯組織)」と混同してはならない。「非難される不安を感じることなく、自分の考えや気持ちを率直に発言できる状態」であり、生産性を向上させるための活発なコミュニケーションが行われる。常にイノベーティブな状態にあるといえるのではないだろうか。

心理士から見た企業の今

20年以上カウンセリングルームを経営し、産業カウンセラーとしても活躍されているCBTセンター西川公平所長(医学博士)より、事業所が考えるべき事項を心理学の観点から教えていただいた。
「私は産業カウンセラーとして、企業の新入社員や管理職といった階層別のカウンセリングを行っていますが、セクハラやパワハラに始まる×××ハラに悩んでいるという声を40~50代の企業人から多く聞きます。
先に紹介した通り、現代では企業がその組織の「心理的安全性」を保つことはメンタルヘルスの問題のみならず、企業のパフォーマンスや収益に直結する事柄として注目を集めています。
あらゆる職場で上司は部下の話をよく聞いているつもりでも、部下は「上司から話を聞いてもらえていない」という矛盾が生じていたり、従業員のパフォーマンスを上げるために、「風通しの良い組織を作ろう」「こまめに声をかけて、やっていることに関心を示していこう」とコンサル本を参考に実践する人も多いでしょう。しかし、場合によっては「監視されている、威圧されている」と圧を感じとられてしまうこともあります。
放置しすぎても、管理しすぎても文句を言われるとは、上司のメンタルヘルスはどちらに向かえば良いのか……。とりわけ今の40~50代の上司や経営者は、昔教育と称して散々やられてきたことを、令和の今になってそれは問題だと止められる。時代の板挟みで辛いところだと思います。
どんな風に情報を管理し、エラーをチェックし、声を掛け、教育するか。会議の種類や長さや有用無用。判子をなくすかオンラインにするか。細かいことから大きなことまで、心理学的な検討事項は山のように存在します。
人間工学に基づき、労災や残業を減らすため、この部署では残業や事故、休職が多いなど、特発事案が発生した時に原因を究明し、〝誰か個人のせい〟にするのではなく、失敗が起きないシステムを構築することも重要です。
社員個々の教育においても「上手く電話が取り次げない」「客先に遅刻する」「報告書を出すのが遅い」などというエラーに関して、エラーを発生させない仕組みづくりを実践することが求められます。変えられない過去の事象の原因を考えるのではなく、本来の目指すべき目的に焦点を当てて物事を考えていこうという考え方です。
そもそも心理とは、心と理屈のこと。企業だって理屈がなければ経営できないし、心がなければ経営する意味がない。そういった意味では、心理学的アプローチは非常に有効です」。
人間の心が与える組織への影響は計り知れない。しかし、西川所長は家庭や職場のストレスや何もかもを、「心」に投げてしまっている現代の風潮も疑問に感じているという。問題のある社員に対し、合理的配慮だとレッテルをはり、腫物にさわるようにしか対処しない。そんな世になってしまった原因は人々のコミュニケーション不足が根本にあるのではないか。興味や関心を持ってみるだけでもいい。そういった実践をしつつも従業員への定期的なフォローとして組織内にまず気軽に相談できる窓口を設け、時には産業カウンセラーといった外部の力を借りながら、よりよい職場を目指す必要があるのではないだろうか。

サボタージュ マニュアル

西川所長から、組織心理学を考える上で1冊の本を紹介いただいた。『サボタージュマニュアル―諜報活動が照らす組織経営の本質―』(米国戦略諜報局著、越智啓太監修・翻訳、国重浩一翻訳 2015)である。
本書は、アメリカのCIAの前身となったOSS(米国戦略諜報局)で作られた一般の人々が少しの工夫でできるサボタージュ活動、つまり権力に対する抵抗(レジスタンス)活動マニュアルを日本語訳し、ビジネスにおける現代の組織論、社会心理学の観点から見て執筆されている。「わざわざサボタージュを試みなくても、多くの組織やグループでは、このマニュアル通りの運営が行われているのが現状でしょう」とし、風刺として楽しめる本となっている。
本書のなかでまとめられたビジネス上でのサボタージュと、それに対する解説の極一部を抜粋しておく。

1. 形式的な手順を過度に重視せよ

組織は人が増えることで、効率的に行動できるようにルールが作られることが多いが、ルールが本来の目的を失い、人を振り回すようになると本末転倒である。

2. ともかく文書で伝達して、そして文書を間違えよ

言葉で一言伝えれば、あっという間に伝達できることを、文章にすることで時間を要する。口頭での伝達の場合は対話であるため、意見や確認がコミュニケーションの中から生まれるが、文書のみの場合は誤りに気付きにくく訂正も容易ではなくなる。

3. 会議を開け

我々の多くは民主主義の原則として皆で決めることを当たり前としてきたが、数々の心理学実験の歴史からは、一人で課題を解決し、持ち寄るほうが効率的であることが分かっている。そして、会議においては、他人の評価が気になる(評価懸念による発言の抑制)、会議の大多数の意見を尊重してしまう(沈黙の螺旋・同調)など、皆で決めていくことが必ずしも参加者の能力を効果的に合体させるものではない。

4. 行動するな、徹底的に議論せよ

「懸念事項を全て洗い出す」ことは有効な活動にも見えるが、意思決定を遅らせたり、混乱を招く。また、検討し、決定をするまでにかかった情報収集コストも無視できない。

5. コミュニケーションを阻害せよ

日々のアイデアや仕事上の問題点など、少数派から生まれる意見が封殺される環境であれば、組織は弱体化していく。上司が親しみやすい、自分もよく間違うことを積極的に示す、失敗を責めず学習の機会であることを強調する、具体的な指示を行う、といったような人であれば、心理的安全性のある組織となる。

6. 組織内にコンフリクト(対立や論争)をつくり出せ

組織内の人間関係が一番の軋轢を生む。社会心理学では、集団を一体化させるための有効な方法として、外敵を創ることだといわれている。人間は外敵がないと、内にローカルな外と中をつくるようになる。

7. 士気をくじけ

個人の士気をくじく最も効果的な方法の一つは、「学習性無力感」を醸成すること。一生懸命やっても何も変わらない、何も報われないということをたたきこむことによって、組織の成員のやる気は一気に失われてしまう。

マニュアル原文は第二次世界大戦時のものだが、そのまま現代企業の機能不全の原因を指摘しているようで、ドキッとした方も多いのではないだろうか。
心理的安全性の高い環境を生み出すために、自分自身が優秀な諜報員になっていないか、チェックが必要かもしれない。