夜空を彩る花火は打ち上げの場所や天候、導火線が火薬に到達するタイミングなど、全て緻密に計算された芸術である。県内唯一の花火メーカーであり、自身も花火師として、様々なものを生みだしている代表取締役の柿木博幸さんに話を伺った。
昭和14年(1939)、花火に魅せられた初代(祖父)が、花火界の四天王と言われている国友村(現長浜市)の花火師廣岡幸太郎氏に師事し、昭和23年(1948)に同業の大倉由三郎氏より事業承継し、柿木花火工業が始まる。博幸さんは、父の打ち上げる花火を見て育ち、大手樹脂メーカー勤務を経て25歳で花火師になることを決意した。
「きっかけは身近な人が亡くなり、死を実感したこと。自分が生まれてきた意味を考える機会となりました。振り返ってみると父は2代目として他の会社と二足のわらじを履きながらも、一度も仕事の愚痴をこぼさず、ただ観客の歓声に喜びを感じる情の深い人でした。そんな背を見てきた私は一度きりの人生、そんな仕事をやりたいと考えるようになりました」。
3代目として、花火師として
打ち上げ花火の構造は、紙製の球体「玉皮」の中に「星」と呼ばれる火薬の粒を並べていく。その配列や火薬の種類により、花火の色や動き、光るタイミングなどを調整する。火薬の種類は無数にあり、火薬の配列や種類を変えることにより、印象の違う花火ができ上がる。
静岡の大手花火工場で5年修行し、中国への技術指導等の経験を経て家業を継いだ博幸さん。代々引き継いできた良い部分は活かし、これまでの学びを取捨選択しながら事業運営を始めた。従来手作業だった打ち上げを電子制御に切り替え、安全面の確保や演出の幅を広げた他、花火師として様々な開発にも取り組んでいる。
花火の色は構造上、青や紫の表現が難しいとされている中で 〝柿木ブルー〟と呼ばれる高発色な花火や、花火後のゴミが残らないものなど画期的な開発の裏には何年にもわたる試行錯誤を重ね、想いを形にする作り手としての信念が伺える。
「成功は失敗の母。失敗したときに何故失敗したのか、掘り下げて考えてみることが重要です。今の子どもたちは夏休みの工作なんかでもキットが売っていて、失敗がない。ものづくりの楽しさを知ってほしくて地元の学校の校外学習ではコーヒーのガラを使った線香花火作り体験に協力しています」と話す博幸さん。
花火の美しさは一瞬である。今年、花火を見る機会があれば、ぜひその裏側には、たくさんの想いや工夫、そこに至るまで費やされた時間に思いを馳せることができれば、異なる美しさが際立つことだろう。本稿を通して皆様に少しでも伝われば幸いである。
焚火の炎の色が虹色に変わる!「炎神」
焚火の炎の色が虹色に変わる!「炎神」は、高品質で30分持続する。コロナ禍においての需要の高まりもあり、大人気となった。
開発・販売を手掛けるマウンテンフィル合同会社は既製品よりも、高品質なものを作りたい!と20件にわたり花火メーカーへ問い合わせをしていたがどこもNGばかり。「次で諦めよう…」そんな思いで柿木花火工業へ電話をかけたそう。
実は博幸さん、元々遊びで試作していたものだったそうで、すぐに快諾され、無事商品化となった。その後、炎神はヒットし、現在も人気商品に変わりはないが、柿木花火工業としては製造のみにとどめている。
「儲けようと思えばそればっかりになっちゃうのでね。私は色々いただいた依頼や研究を続けたい。あくまでものづくりをしていたいんです」と博幸さん。
他にも花火に使用する水溶性プラスチックを大学と共同開発しており、雨でどのように消えていくかを自社の壁や車に置いて実験したり……と探求心は底知れない。