異彩をはなつ茶人 太田宗達さん

6月28日、世界遺産登録推進事業・直弼公の心を深耕するおもてなしセミナー「グレート直弼 君は『茶湯一会集』を読んだか!」を彦根商工会議所主催で開催する。開国の英雄としてではなく日本の文化「茶道」を究めた直弼公をフィーチャーすることで、「おもてなし」とは何かを考え、新たな直弼公のイメージを創造する。文章にすると難しく堅苦しいイメージだが、「おもてなしは愉しい」ということを再発見するのが最大の目的だ。
セミナーの講師は太田達(とおる)さん。京都上七軒の有職菓子御調進所「老松」の4代目当主である。茶名を宗達という。茶に関するセミナー故、「太田宗達」として登壇される。演題は「おもてなしの愉しみ!!茶会は一期一会のインスタレーション」。私たちがなんとなく理解しているつもりの「おもてなし」や「一期一会」を捉えなおすきっかけになるのではないだろうか。

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太田宗達氏プロフィール

立命館大学食マネジメント学部教授、有職菓子御調進所老松当主。京都市立紫野高校卒。島根大学農学部卒。京都工芸繊維大学後期博士課程にて「茶道点前の動作解析」で博士号を取得。食文化や菓子文化等研究を行う一方で、茶人としても活動。江戸時代の学問所「弘道館」址の有斐斎弘道館にて茶道を通した人間育成にも携わる。

太田さんは世界中にファンをもつ茶人で、京都を訪れたテニスプレイヤー、ロジャー・フェデラーをはじめ海外の著名人にお茶をふるまい、2006年のサッカーW杯の時には、ブランデンブルク門で茶会を開くにあたり、正客のデヴィッド・ベッカムのために茶碗を作陶している。フランス、イタリアでの茶会では現地の道具を使うなど、主客と客の記憶にしか残らない一期一会のインスタレーションを愉しんでいる。
また、太田さんは立命館大学食マネジメント学部の教授でもある。これまで歴史的な研究しかなされてこなかった茶道をモーションキャプチャを用いて「茶道点前の動作解析」を行ない、科学的・工学的研究の扉を開いた。マネジメントの分野では、老松の会社代表として家業を独創的な発想で改革した経営者としても知られている。
本特集では太田さんが代表理事を務める「公益財団法人有斐斎弘道館」と、その活動を紹介する。セミナーに少しでも興味を持っていただければと願っている。

有斐斎弘道館と皆川淇園(みながわきえん) 

京都御所の西側、上長者町通の近代建築の狭隘に石畳が続いている。中門をくぐると「有斐斎弘道館」の主屋と庭が姿を現す。弘道館の名は、江戸中期の儒学者・皆川淇園(1734〜1807)が創設した学問所に由来する。
淇園は開物学という難解な学問を創始する一方、詩文や書画にも優れた風流人で、門人は全国3千人に及んだといわれている。平戸藩主松浦静山、膳所藩主本多康完などの大名や、円山応挙、与謝蕪村、長沢蘆雪らとも深い親交があった。ちなみに「有斐斎」は淇園の号の一つである。
話は逸れるが、弘道館の名を持つ藩校は彦根藩、水戸藩(茨城県水戸市)、佐賀藩(佐賀県)、福山藩(広島県)、谷田部藩(茨城県つくば市)の5つ。「弘道」という言葉は、「論語」の「子曰く、人能(よ)く道を弘む。道人を弘むるに非(あら)ず」に拠る。今号表紙の「金亀会館」は、彦根藩校弘道館の講堂だった建物だ。
淇園が掲げた「弘道」は、単なる学問の研鑽を超え、道(倫理)を弘め、知識や学問を個人の知的満足にとどめず、社会のなかで生かし、人々の心を潤すために活用するという精神だった。
弘道館では、儒学だけでなく、漢詩、書画、礼楽(れいがく/社会秩序を定める礼と、人心を感化する楽)など幅広い文化が共有され、門人たちの交流の場となっていた。学問・芸術(教養)に支えられた場が育まれ、学問所の礎になっていったに違いない。
2009年、皆川淇園の弘道館址の数寄屋建築と庭園が、マンション建設により取り壊しの危機にあった。保存運動も行われたが、名だたる大企業も「採算があわない」と手を差しのべることはなかった。由緒あるこの場所に築きあげられてきた空気感や歴史の重みは二度と取り戻すことはできない。弘道館址を建物と庭園とともに、再び「現在の営み」として生かす道を切り拓いたのは、太田さんだった。研究者や企業人らの有志により、一時的な保存を成し遂げ、その後、2011年に公益財団法人を立ち上げた。

有斐斎弘道館中門へ続く石畳

日本の伝統文化としてのちゃかぽん

有斐斎弘道館は建物と庭園を保存するとともに、現代の学問所の再興をめざしている。淇園にならい、日本の伝統にこめられた深い知恵や、すぐれた美への思いを汲みあげ、その魅力を伝える学びの場だ。現代の学問所のテーマは「ちゃかぽん」。茶道を中心に和歌や能に関するユニークな講座を「ちゃかぽん」と称して開催している。
茶のもてなしは、人を惹きつける力があり、付加価値のある経験を提供できる。弘道館の茶は人間育成のための茶であり、茶会を通して一つでも多くの物事を知り、知を蓄える。茶の湯が本来持っていた力の「再生」であるという。
『平成のちゃかぽん 有斐斎弘道館 茶の湯歳時記』(濱崎加奈子・太田宗達著 2017年)という書籍がある。まえがきに有斐斎弘道館の館長濱崎さんは

「ちゃかぽん」とは、「茶」「和歌」「能(ぽん=鼓の音)」のことである。幕末の大老・井伊直弼の埋木舎時代の渾名である。直弼の歴史的な功績を思えば、茶や和歌や能といった芸能によって培われた教養こそが、一国の命運をかけた重大な決断の基盤となったのかもしれない。和歌があり、能があり、茶の湯があるからこそ、日本の文化は根をはり、幹を伸ばし、葉を生い茂らせてきた。これらの文化的素養の土壌が、世界に稀なる豊かで平和な思想や、ものづくりの技術やアイディア、アニメやゲームといった創造的な文化を育み、経済的な発展をも支えてきたのだと思う。

と記している。
21世紀の「ちゃかぽん」は、「日本の伝統文化」をつないで一つにした単語であり、日本文化そのものなのである。

有斐斎弘道館

世界遺産登録と商工会議所

彦根商工会議所は2014年、「ひこねブランド開発委員会」を設置。「彦根という都市のあるべき姿、望むべきカタチ」をマクロ的視点と現状の問題点の双方を論じながら「ひこねブランド」のイメージづくりへの同意形成を行った。
ブランドづくりは、地域経済が潤うビジネスモデルを獲得し、地域住民が誇りを持つ歴史や伝統を継承していくものでなくてはならない。これを導き出すには、地域の歴史を学びなおし、新しい波(情報)を取り入れて「地域の独自性」を創造することが必須となる。
個性的で魅力ある地域づくりを進めることは、経済活性化と人口問題を同時に解決するストーリーを組み立てることでもある。具体的にいうならば、彦根の恵まれた「地域資産=地域」の魅力を武器にした新しいビジネスモデルづくりである。そして、ブランド力を高めるということは、都市(地域)の価値を高めるということである。日本中の城下町(歴史都市)は同じようなことを考え、フラットな競争の真っ只中にある。
歴史都市とは、地域に残る歴史的・文化的価値が高い建造物やまちなみ、伝統文化によって醸し出される地域特有の空気感を持っている都市のことをいう。彦根城の世界遺産登録の実現は私たちにとって、これ以上にない大きなアドバンテージなのだ。
但し、いかに優れたものであっても、それが社会的・地域的ニーズと合致しない限り、イノベーションの実現には至らない。歴史都市としての彦根、あるいは彦根が有する伝統文化に対して、どのようなニーズがどこに存在するのか……、未だそれを的確に把握できていない。この把握の不在こそが、次なる展開への障壁となっている。言い換えればこうしたニーズの所在さえ明確になれば、新たなビジネスモデルの創出も、十分に可能なのだ。
有斐斎弘道館は市井の人々が支え、ハード(文化資産)の保存と維持管理、そしてそこで展開される伝統文化(ソフト)が、皆川淇園が遺したOS上でスムーズに起動している。「ちゃかぽん」がそうであるように、注目すべきは日本の伝統文化を現代的な視点で、その魅力を新たなカタチとして再解釈し続けているところだ。そこには太田さんの才能が遺憾なく発揮されている。
彦根市及びその周辺には数多くの文化財が点在し、未評価の文化資源も眠ったままだ。太田さんとの邂逅は、私たちが未だ把握できていないニーズを明確にし、新たなビジネスモデルを創出するチャンスとなるのではないだろうか。