世界遺産登録とは、「人類の歴史の1ページ」に刻まれることである。では、私たちは、彦根城を登録することで、どのような価値をそこに刻もうとしているのか。彦根城の世界的な価値とは何なのか。今回は、これまでの連載で述べてきたことのまとめをしたい。

世界的にユニークな江戸時代

江戸時代の政治の仕組みは、世界的にみてユニークである。ただ単に幕府が全国の政治をしていたのではなく、地方には藩が存在した。藩は、自らの領地の政治に責任を持つ地方政府で、独立した権限と財源を持っていた。だからといって藩ごとにバラバラの国になったのではなく、幕府のもとで統合され、全ての藩は共通の仕組みで政治をしていた。
このような中央集権と地方分権の絶妙なバランスの取れた仕組みは、中国にも、ヨーロッパにも、イスラーム諸国にもなかった。江戸時代の日本は、この仕組みだったからこそ、地方の個性を生かしながら、200年以上にわたる安定と発展を実現できたのである。

藩の政治を示す4つの特徴

藩の政治の特徴は、藩の政治拠点だった城のかたちを見れば分かる。

1つ目は、天守を中心につくられた「見せる城」だったこと。いわば「徳川スタイル」の城の姿を見せることで、藩の権力が幕府公認のものだということを広く示していた。
2つ目は、城の空間全体が石垣と堀で囲まれ、外部からはっきりと区別されていたこと。その内部は、領地の中でここにしかない、藩の政治のための特別な機密空間となった。
3つ目は、この空間の中に大名の御殿と重臣たちの屋敷が集まっていたこと。集約的な空間配置は、大名と重臣による藩の領地全体の政治の仕組みを表していた。
4つ目は、御殿と庭園など、藩の儀式をするための場所がつくられたこと。大名と家臣は、儀式をすることによって、秩序を保ち、政治理念を共有することができた。

彦根城全景と彦根の町並み

彦根城を見れば江戸時代の政治体制が分かる

これらの4つの特徴を持つ城は、江戸時代には全国に約150存在したが、明治時代になって藩が消滅すると次々と取り壊された。その中で彦根城は、住民の強い願いによって例外的に保存されることになり、現在まで地域のシンボルとして守られ続けている。
全国の約150の城に4つの特徴を示すものが残っているかどうかを調べると、彦根城の保存状態が最も良いことが分かった。もちろん江戸時代の状態がそっくりそのまま残っているわけではないが、二重の堀で囲まれた空間の中に、天守が残り、庭園が残り、御殿や重臣屋敷などのあった範囲全体が保護されている。ここまで全体構造がよく残り、1つにまとまった空間によって4つの特徴を示すことのできる城は他にない。
それだけではない。彦根城は、幕府の直接の命令で、将軍を支える最も重要な大名・井伊家の拠点としてつくられた。たまたまよく残っている150分の1ではなく、歴史的に特別な城であって、だからこそ「これぞ江戸時代の城の決定版」というべき典型的なつくりをしているのである。
したがって、彦根城は、世界的にユニークな江戸時代の政治体制を示す遺産の代表例として、世界遺産にふさわしい価値を持っている。
世界遺産登録が実現すれば、江戸時代の政治体制を示す代名詞として、人類史の1ページに「Hikone」の名が刻まれることになる。単に建物が立派だから価値があるのではない。ここを拠点に200年以上にわたる安定と発展が実現し、先人たちの努力によって地域のシンボルとして保存され、有形・無形の伝統が地域に継承されているから、その象徴としての彦根城に価値がある。だからこそ、それを世界に発信し、未来に受け継いでいく意味がある。