世界遺産登録とは、「人類の歴史の1ページ」に刻まれることである。では、私たちは、彦根城を登録することで、どのような価値をそこに刻もうとしているのか。彦根城の世界的な価値とは何なのか。
長旅を終えて彦根に帰り着き、車窓から城が見えると「ああ彦根に帰って来たな」と実感する。彦根市民であれば、このような経験をされた方は多いのではないだろうか。現在の彦根城は、まちじゅうの様々な場所から目にすることができるシンボルである。
現在の彦根城は、二重の堀に囲まれている。堀があるのは当然だと思われるかもしれないが、実はそうではない。江戸時代に約150あった城は、明治時代以降に堀を埋め立てて市街地化されることが多く、二重の堀が完全に残っている城は、彦根城を含めて数えるほどしかない。堀に囲まれた全体構造が残っていることは、彦根城の大きな強みである。
前回の連載では、彦根城の二重の堀に囲まれた空間の中に、藩の政治に必要な機能が集められていたことを説明した。特に、大名と重臣が藩の政治方針を決めていたので、彼らの住む御殿と重臣屋敷が階層的に配置されていたことは重要である。しかし、江戸時代の政治は、それだけでは成り立たない。大名と家臣たちの結びつきを深め、それを長く保つためには、儀式をすることが必要だった。
彦根城は、政治拠点として、どのような構造と機能を持っていたのだろうか。いよいよ彦根城の内部構造について具体的に見ていきたい。
現在構想中の彦根城の世界的価値は、「江戸時代の日本の政治システムは世界的にユニークで、彦根城はその政治システムをあらわす証拠である」ということを前回述べた。江戸時代の政治システムは、どのようなところが世界的にユニークだと言えるのだろうか。
彦根城を世界遺産にするには、「人類の歴史の1ページ」としての価値を見つけ出さなければならない。では、その価値とは何か。結論から言うと、私たちが考えているのは、「江戸時代の日本の政治システムは世界的にユニークで、彦根城はその政治システムをあらわす証拠である」ということだ。
私たちは、今、彦根城の世界遺産登録を目指して取り組みを進めている。1992年に世界遺産の候補となってから、長らく足踏み状態が続いていたが、近年の検討作業の前進により、登録への道筋が見えてきた。目標は2024年。世界遺産登録は、遠い未来の夢物語ではなく、近い将来に実現可能な目標となっている。
© 2020 Hikone Chamber of Commerce and Industry