2022年の新春は、寅年生まれの3人の縦横無尽に展開するトークセッションから始まります。Society 5.0、 SDGs、投資、教育、リモートワーク、ブロックチェーン、メタバース、ニュートレンドなどが彦根城世界遺産登録を目指す彦根の未来にどんなふうに関係しているのか。2時間に及んだ未来を読み解くセッションを編集し、その一部を4週連続でご紹介いたします。

第1回 第2回 第3回 第4回

柴山桂太氏プロフィール

経済学者。1974年東京都生まれ。京都大学経済学部卒。同大学院・人間環境学研究科博士後期課程単位取得退学。2001年滋賀大学経済学部に助手として赴任。その後、講師、助教授を経て2015年4月より京都大学人間・環境学研究科准教授。専門は経済思想、現代社会論。著書に『静かなる大恐慌』(集英社新書)、共著に『現代社会論のキーワード』(ナカニシヤ出版)など。

小野善生氏 プロフィール

1974年京都府生まれ。1997年滋賀大学経済学部卒業。2003年神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。2006年より滋賀大学経済学部助教授、2007年に准教授を経て、2016年より現職。専門は組織論、リーダーシップ論、組織行動論、経営管理論、経営学。 著書に『リーダーシップ』、『最強の「リーダーシップ理論」集中講義』、『フォロワーが語るリーダーシップ』、『リーダーシップ入門講座』などがある。


サイレント・レジスタンス

小出英樹会頭

小出 日本の企業が投資をしなくなったのは、個人的な考えですが、原因は教育だと思っています。日本はスタートアップが少なく、大手の企業は財務諸表を良くし、株価を維持してバランスをとろうとするので、思い切った投資や研究開発などチャレンジをしなくなりました。日本の教育が、そつなく優秀な人材を生み出してきた挙句、現在の社会状況に対応できなくなったのではないでしょうか。

柴山 全世界、とくに日本で広がっているのが、ある種の無力感の広がりです。『資本主義リアリズム』の著者、マーク・フィッシャーというアメリカの思想家(資本主義に絶望して自殺してしまった)が「新自由主義的無力感」と表現しています。新しく社会で何かしようと思った事に対して、「そんな事は意味がない」「駄目だ」と叩かれ続けた結果、若い人達が何かを変えるということに、「そんな事をやってもしょうがない。組織や社会を変えるよりも自分一人の資格を取ったり、小さな世界で満足を得る、それ以外に方法がないではないか」という風潮が蔓延しているというのです。

柴山桂太氏

一旦無力感に陥ってしまうと治すのが簡単ではありません。政府がこれから実施する施策も、社会に活力があるのであれば補助金や規制緩和をすればいいですが、活力がない状態で政府がお金をばらまいても、それだけでは成果を期待できないような気がしています。
フィッシャーは「変革より適応」と表現していて、かつての若者は、学生運動のように社会を変革しようとしましたが、今の若者は変革ではなく適応しようとしています。状況はかわらないから、この中で、自分がそこそこいい暮らしができるように何ができるか、という行動パターンを取りはじめています。
若い時に失敗やチャレンジをして成長していくものなのに、今の若者はそもそも最初のスタートを切らせてもらえていないのです。

小出 挑戦を受け入れてもらえない。挑戦を望む方も減っている。その両方ですね。

小野善生氏

柴山 僕は、若い人が静かに抵抗しているような気がして。革命を起こすという形ではないけれども、大人たちの言うことをだんだん聞かなくなってきた。今の大人たちが作った社会に対してサイレント・レジスタンスをしている。会社をすぐ辞めるとか、やる気がないとか、若い奴は物欲がないとか、「勝手に言ってろ」という感じ。日本企業もこれから人が来なくなるんじゃないかと、だんだん焦りはじめている。これから変わってくるかなと思うのは京都大学の学生が日本の企業を選ばないこと。外資系企業は初任給40万円とかですから。ぜんぜん桁が違うという感じで。中国企業とかの方が倍出すわけですからね。

小野 企業のヒアリングでは、若年層の社員が辞めていく理由というのが、以前は人間関係や給料が原因でしたが、最近は「キャリア上の不安が原因で辞める」というのが増えています。「もっと自分としてのキャリアを歩みたいから」と、そういう離職の仕方をします。人事の方もこれにどのように対処すればよいのか分からないというのが現状です。

柴山 最近すごく多いです。次の選択肢が今よりキャリアアップできるかどうかではなく、逃げるっていう抗議を行っている。まさにレジスタンスが起こっている。

小野 日本企業は人材を重視する人本主義という考え方が色あせて、実のところ人に対する投資がどんどん減って、単なるコストになっています。人的投資もしないというのは、致命的ではないのかと思います。

小出 アマゾンもアマゾン大学をつくり、資格を取得できるようになっています。昔、日本企業は得意だったのに、今はアメリカ企業の方がかつての日本以上に人材投資にお金を使っています。

柴山 現代の若者は我々の世代に比べると潜在能力は高いんですよね。今の18~19歳の学生の能力がずば抜けて高いですね。英語ができるし、議論能力も高い、勉強もよくできるし、そつもない。ピアノが弾けるとかそういう特技もいっぱい持っているんです。それは多分ですけど、子ども一人当たりにかけるお金の金額が、我々の若いころに比べて全然違うのですね。

小出 親が子どもにしっかりと教える。投資をしていく。それで才能を開花させる人が多い。という問題もありますが、確かに今の若い人を見ていると、ものすごく潜在能力は高い。ただ、その能力を何に使うべきかという目標が上手く設定できていないように思います。
商工会議所が取り組むまちづくりの中で、ひとつは教育力強化をしなしなければとすごく感じています。ジュニア世代、高等教育化もそうですが、リカレント教育も進めていかなければならないと思います。ジュニアITスクールや近江テック・アカデミー、マイスターハイスクール、世界遺産の寄付講座など、地域で投資する仕組みを模索しているところです。

柴山 僕は、大学が中心になるべきなのかなと、ヨーロッパの経験を見ると思いますね。教育が文化としていわれているところは基本的に大学が核になっているケースが大多数です。それでいうと、彦根は4年制大学が3つ、ミシガン州立大学連合センターもあり、大学が中心となって地域の教育界と連携していくことが柱になるのではないかと。

小野 ハイデルベルクは、大学中心のまちづくりや、お城もあって、人口も14万人くらいと近い。所得も高い。彦根とよく似ています。大学の関係者が大学以外にもまちのいたるところに溶け込んでいて、そこでコミュニティと融和し、学生が期間限定ではあるけれど馴染んでいるようなイメージです。

小出 現状はまだ充分でない気がするんですよ。もっともっと当所も考えていかないとダメなのですが。

柴山 ハイデルベルクは人材の移動も多い所で、昔の滋賀大と似ている。そういう意味では、大学そのものが開かれているかどうかも重要かもしれないですね。地域や企業とつながっていくことを教師レベルでも、学生レベルでもやっていかないとハイデルベルクのようにはならないかなと思います。